俺は、毎朝同じ時間に家を出て、同じ電車に乗り、同じ道を歩いて会社に向かう。そうやって、毎日が同じように過ぎていくことに何の疑問も持たず、ただの繰り返しだと感じていた。それが、数日前の朝までは。
その日は特に変わったこともなく、いつも通りに家を出た。駅に着くと、いつものように人々が足早に改札を通っていく。俺もその流れに乗って、ホームへと向かった。電車は定刻通りに到着し、俺はいつものように同じ車両に乗り込んだ。
席に座り、スマートフォンを取り出してニュースを眺めていると、隣に座った男がふと話しかけてきた。
「今日はどちらへ?」
不意に話しかけられて驚いたが、その男は親しげな笑顔を浮かべていた。中年のサラリーマン風で、スーツ姿がやけに整っている。
「ええと、会社に…ですけど」
そう答えると、男は小さく頷いた。
「そうですか。では、お気をつけて」
それだけ言って、男は次の駅で降りていった。何か妙な感じがしたが、特に気にせずそのままニュースに戻った。
しかし、その日から奇妙なことが続くようになった。次の日の朝、俺が同じ時間に家を出ると、家の前に見知らぬ猫が座っていた。黒い猫で、じっとこちらを見つめている。その目には何か人間のような知性を感じさせるものがあった。俺は少し気味が悪くなり、急いで駅へと向かった。
電車に乗り込むと、再びあの男が隣に座ってきた。昨日と同じ男だ。彼は再び話しかけてきた。
「今日はどちらへ?」
同じ質問をされて、俺は少し不安になった。しかし、仕方なく答えた。
「同じく会社に向かいます」
男は再び頷き、同じ駅で降りていった。その時、俺はようやく気づいた。昨日と同じだ。まったく同じ会話、同じ行動、同じ駅で降りる。まるで何かのループに巻き込まれているような感覚に襲われた。
その日の仕事は特に変わったこともなく、無事に終わった。しかし、帰り道でまた奇妙なことが起こった。駅から家へ向かう途中、いつも通る道が封鎖されていた。工事のためだという表示がされていたが、そんな話は聞いたことがなかった。仕方なく迂回して家に帰ると、家の前にはまたあの黒い猫がいた。
「…なんだよ、お前」
俺がそう呟くと、猫は一瞬だけ人間のように微笑んだ気がした。鳥肌が立ったが、そのまま家の中に入った。
そして次の日も、また同じことが繰り返された。家を出ると猫がいて、電車に乗るとあの男が隣に座り、同じ質問をする。俺はだんだんと恐怖を感じ始めていた。このまま何も変わらず、同じ日々が続くのか。それとも、何かが起こるのか。
ある朝、決心して違う電車に乗ることにした。いつもの電車ではなく、別の路線に乗り換えてみようと思った。しかし、改札を通ろうとした瞬間、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、あの男が立っていた。
「今日はどちらへ?」
男はいつものように笑っていたが、その目にはどこか冷たい光が宿っていた。俺は恐怖で身動きが取れなくなり、そのままいつもの電車に乗り込んでしまった。
それ以来、俺は毎朝同じ電車に乗り、同じ男と同じ会話を交わし、同じ駅で見送る。それがいつまで続くのか、俺には分からない。ただ、分かっているのは、俺はもう決してこのループから抜け出せないということだけだ。
家に帰ると、あの黒い猫が毎日待っている。俺が家に入るとき、その猫はいつも同じように微笑んでいる。そして俺は、もうそれが当たり前になってしまった自分に気づき、恐怖することさえ忘れてしまった。
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