俺が通っていた小学校では、先生が消えるという噂があった。
ある日突然、担任の先生がいなくなる。
理由は教えてもらえず、新しい先生が何事もなかったかのように現れる。
クラスメイトたちはみんな薄々気づいていた。
――学校に変なのがいるのだ、と。
6年生になったとき、担任は田口先生になった。
眼鏡をかけた無口な人で、授業も淡々としていたが、生徒のことはよく見ていた。
最初のうちは、俺たちは田口先生を「ただの地味な先生」と思っていた。
だが――夏休みを過ぎた頃から変わってしまった。
最初に気づいたのは、教室の隅で、田口先生が誰かに話しかけているのを見たときだった。
授業の合間、先生は窓際の隅に向かって、ぼそぼそと話している。
だが、そこには誰もいない。
クラスメイトたちは最初、気味悪がりながらも、先生に直接聞くことはなかった。
ある日、放課後の掃除中に、俺と友人の吉村が、ふと気づいた。
田口先生が廊下に立っている。
立っているだけなら普通だが――その姿勢が異様だった。
先生は、首を90度曲げて、廊下の壁に耳を押し当てていたのだ。
「……誰か、いるのか?」
吉村がそう言った瞬間、先生の耳がぴくりと動いた。
そして、ゆっくりと振り返った田口先生の顔を見て、俺は叫びそうになった。
――先生の目が笑っていなかった。
口元だけが無理やり引きつるように笑っていて、目は何も見ていないような虚ろな目をしていた。
「お前たちも、聞こえるか?」
田口先生が、壁を指さしながら言った。
「あの子の声が、聞こえるだろう?」
吉村は何も言わずに、ただ震えていた。
俺は怖くなって、無理に笑いながら言った。
「先生、何の話ですか? 誰もいないですよ」
すると、先生は一瞬だけ目を細めた――まるで、俺の嘘を見抜いたように。
「そうか、まだ”連れて行かれてない”んだな」
その言葉が耳にこびりついて離れない。
次の日から、田口先生は黒板に向かって授業をするのをやめ、ずっと教室の隅ばかり見ていた。
夏休みが明けてから一週間後、田口先生は突然、学校を辞めた。
その理由を聞いた人はいない。
だが、学校の旧館――使われていない古い建物の壁に、人の形をした染みができているという噂が広まった。
そして、その染みの前で――
時折、誰もいないのに「田口先生の声」が聞こえるという。
「まだ、聞こえるのか?」
「お前も、聞こえるはずだ」
田口先生が、壁の向こうで誰かに話しかけ続けているのだ。
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