忘年会帰りに、会社の同僚のNと話しながら歩いていたときのことだ。駅から少し離れた路地に入ると、彼が突然足を止めて、ポケットから古びた鍵を取り出した。
「これさ、見覚えない?」
差し出された鍵は、何の変哲もない銀色の鍵。でも、どこか懐かしい感じがした。手に取ってみると、妙に手に馴染む。
「何だこれ?」 「お前が置いていったんだよ」
「俺が?」 覚えがない。けれど、Nは笑いもせずに続けた。
「大学の頃、夜中にお前が『捨ててくれ』って言って、俺に渡したんだよ。でも気味悪くて捨てられなくてさ。ずっと俺が持ってた」
冗談じゃない。そんな記憶はないし、鍵を渡した覚えもない。
「何の鍵なんだよ?」 「さあな。ただ、お前が渡すとき、変なこと言ってたんだ」
Nの声が少し低くなる。
「…『鍵を捨てないと、あの子が迎えに来る』って」
一瞬、背筋が冷たくなった。
そんな話、冗談でもしないはずだ。大学の頃、確かに俺たちはよく夜の街を歩き回ったけど、鍵なんて話題にしたことはない。ただ――思い出したくない記憶がひとつだけ、胸の奥から顔を出す。
あれは大学2年の夏だったか。
友人たちと山奥の廃屋に肝試しに行った。朽ちかけた木の扉に、赤い印がついていたのを覚えている。俺がふざけて扉を開けると、中に小さな布団が敷かれていた。誰かが住んでいたのか、まるで子供を寝かせていたように見えた。
気味が悪くて、すぐに引き返したはずだ。
――けれど、そのとき鍵を拾ったのは俺じゃなかったか?
「…お前、その鍵を持ってる間、何かあったのか?」
Nは無言でポケットからもう一つのものを取り出した。
写真だった。
古びた廃屋の前に、俺が写っている。 その隣に、誰かが立っていた。 誰も、そんな人物がいた記憶はないのに。
「もう遅いかもしれないな」
Nはそう言って、俺の肩を叩いた。 「今夜は気をつけろよ。お前、あの時――置いてきたつもりなんだろ?」
写真の俺は、笑っていた。その隣の誰かも、同じように。
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