どこにでもあるような、寂れた山道だった。
ただひとつ、妙に気になる場所がある。
村人たちはそこを 「山窪」 と呼んで、近づこうとしない。
地図にも載っていない小さなくぼ地で、雨が降るたびに土が崩れ、年々深く沈んでいく。
誰も口にしないが、山窪は昔から「人を引き込む」と言われていた。
その日は、山道を車で走っていた。
雨が降り始め、ワイパーを動かしても視界が悪い。
すると、遠くに赤い反射板が見えた。
「工事しとんのかな?」
妙だと思いつつ、近づいてみると――反射板なんかじゃなかった。
それは、地面から伸びた赤い棒のような腕だった。
腕はひとつじゃない。
土の中から、何本もの赤黒い腕が伸び、空をつかむように動いている。
「何だこれ……」
思わず車を降りた。
その時、背後で土が崩れる音がした。
振り返ると、地面がゆっくりと沈んでいく。
その先には、暗い穴――山窪の底が見えていた。
穴の底には、何かが蠢いていた。
泥にまみれた人影のようなものが、ゆっくりとこちらを見上げる。
目が合った瞬間、背中がぞっとした。
――人じゃない。
そいつは泥の中から這い出し、口を大きく開けた。
口の中から、赤黒い腕がいくつも伸びてくる。
腕は地面をつかみ、次々と穴から這い上がってくる。
「おい、逃げろ――」
自分で言いながら、車に飛び乗ってアクセルを踏んだ。
だが、ミラー越しに見えたのは――
山窪の底から、無数の手が追いかけてくる姿だった。
それ以来、山道には近づいていない。
だが、時々思い出す。
村の老人が言っていた。
「山窪は、何かを捨てる場所じゃないんだ。
あそこは、捨てられたものが帰ってくる場所だ。」
あの赤い腕は、人が捨てた何か――取り返しのつかないものが、土の底から戻ってこようとしているのかもしれない。
そしていつか、俺も「迎え」に来られるのだろう。
あの赤い腕が、俺の首筋を掴むその時に。
コメント