夏休みのある日のことでした。
父は仕事が忙しい人でしたが、その日は珍しく早く帰ってきて、「虫取りに行こう」と言ってくれたんです。
私が楽しみにしていたクワガタを捕まえるために、山の裏手にある雑木林へ向かいました。
あの時の夕焼けの色――今でも、目を閉じると鮮やかに思い出せます。
でも、あの日は…何かが違っていたんです。
雑木林の奥へ入っていくと、妙に静かでした。
蝉の声も、風の音もしない。
父は「ちょっとおかしいな」と言いつつも、奥へ進んでいきました。
そして、見つけたんです。
一本の大きな朽ちた木が倒れていて、その根元に――
クワガタじゃない、黒い虫の大群が集まっていたんです。
「うわっ、なんだこれ!」と父が言って、一歩後ずさった瞬間――
その虫の中から、何かが出てきたんです。
それは人間の形をしていた。でも、顔も手足も、すべて虫でできているような――**まるで人の姿を模した“何か”**でした。
そいつは、父をじっと見つめると、こう言ったんです。
**「気持ちいいよ」**と。
私は、意味がわからず立ち尽くしていました。
でも、父は突然青ざめた顔で、私を抱きかかえると「今すぐ帰るぞ」と言って、急いで林を出ました。
それから、父は体調を崩しました。
あんなに元気だったのに、日を追うごとに痩せ細り、病院に通うようになりました。
そして、あの日からちょうど一年後の夏、父は息を引き取りました。
あの時、雑木林で見た“何か”が、父の運命を決定してしまったのだと思います。
亡くなる直前、父はこう言いました。
「あの時、虫たちは笑っていた」と。
あの場所には、二度と行っていません。
でも、たまに夢に見るんです。
虫の大群の中に、父が立っている夢を。
そして、私に手を振りながら――こう囁くんです。
**「気持ちいいぞ」**と。
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