あれは、とある冬の夜のことでした。
田舎町の外れにある古い診療所の噂を耳にしたんです。
「夜中に診療所の近くを通ると、空に心臓が飛んでいるのを見た、という人がいる」
そんなバカな話があるか、と思いながらも、私は仲間と一緒にその場所へ向かいました。
診療所はすでに廃業していて、建物もボロボロに朽ちていました。
窓は割れ、玄関の扉は外れかけ、まるで何かが中から這い出たような形跡すらありました。
不気味な静けさの中、誰かが冗談で言いました。
「この辺で、飛ぶ心臓が見えるんだってさ」
その瞬間、風がざわっと吹いて、
頭上から妙な音がしました――
「ドクン、ドクン……」
心臓の音です。
でも、それは空から聞こえてきた。
見上げると――
赤黒い塊が、空を飛んでいるのが見えたんです。
それはまさしく心臓でした。
静脈と動脈が長い触手のように引きずられ、血まみれの塊が、ゆっくりと空を漂っていました。
そして――
私たちの一人が、ふとポケットに手を突っ込んだまま、動きを止めました。
「……痛い」
彼がそう言った次の瞬間、彼の胸から血が滲み出てきたんです。
「おい、大丈夫か!?」と叫んで駆け寄ると、
彼の胸の服が裂け、内側から自分の心臓が飛び出しそうになっていた。
それと同時に、上空の心臓が、彼の鼓動に合わせて動いていたんです。
「戻れ……戻れ!」
彼はそう叫びながら胸を押さえましたが、
心臓はもう空を飛び去っていました。
その後、彼は病院に運ばれましたが、医者は言いました。
**「心臓が、少しだけズレている」**と。
以来、私たちはあの診療所には近づかなくなりました。
でも、今でも聞きます――
冬の夜、田舎の空を見上げると、
心臓が飛んでいるのを目撃した人がいる、と。
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