小学生の頃、家の近くに**「下校道」**と呼ばれる、細い裏道があった。
田舎町に多い、住宅街の隙間を縫うように続く抜け道で、地元の子供たちが学校帰りに使う近道だった。
道幅は車一台がギリギリ通れる程度。片側には古い瓦屋根の家々が並び、もう片側は背の高い生垣で視界が遮られている。
大人たちは、あの道を嫌っていた。
「ちゃんと大通りを通れ」と言われたが、子供たちはその近道を好んだ。
理由は単純だ。
暗くて、怖くて、スリルがあるから。
ある日、近所の友人の「タケシ」が、奇妙なことを話し始めた。
帰り道にタケシがぼそっと言った。
「生垣の向こうにさ、ずっと見てる奴がいるんだ」
僕は笑い飛ばそうとしたが、彼の顔が真剣だったので、冗談とも思えなかった。
「それ、ただの野良猫とかじゃないの?」
「違うんだよ。影が大きいんだ。頭が、俺たちよりずっと高いところにある」
背が高い影?
僕は首を傾げながらも、それほど気にしていなかった。
ただ、翌日も、その翌日も、タケシは同じ話を続けた。
「昨日もいたよ、そいつ。生垣の向こうを、ゆっくり歩いてた」
「おかしいんだ。どの家の裏庭を通っても、ずっと同じ速さでついてくる」
さすがに気味が悪くなってきた。
気になった僕は、放課後の下校時、タケシと一緒に下校道を歩くことにした。
下校道に入ると、空気がひんやりと冷たくなる。
人家が途切れ、生垣が続く場所に差しかかると、タケシが立ち止まった。
「ここだよ。いつも、この辺から見えるんだ」
僕たちは、耳を澄ましてみた。
風が生垣を揺らす音のほかは、何も聞こえない。
何度も首を傾げ、生垣の隙間を覗こうとしたが、特に怪しいものは見つからない。
「ほら、気のせいだよ」と言いかけた瞬間――
タケシが、僕の腕を掴んだ。
「いた……!」
彼の視線を追うと、生垣の向こうに、何かが見えた。
それは、人の頭に見えるものだった。
いや、人の頭ではない。
頭のように見える何かが、ゆっくりと生垣の上に現れ、こちらを覗き込んでいる。
影は、生垣を挟んで、僕たちと同じ速さで動いていた。
「走るぞ」
タケシが叫ぶなり、僕たちは一目散に駆け出した。
背後から、足音は聞こえない。
けれど、振り返る勇気もなかった。
住宅街を抜け、大通りに出た瞬間、僕たちはようやく足を止めた。
息を切らしながら振り返ると、下校道はすっかり見えなくなっていた。
それ以来、僕たちはその道を通ることはなかった。
しばらくしてタケシが言った。
「あの道、もう工事で塞がれたらしい」
「ふーん」と、僕はあいまいに答えた。
心のどこかで、道が消えたことにほっとしていたのだろう。
しかし、半年後のある日、タケシがポツリと言った。
「たまにさ、家の近くで見るんだよ。あの影」
僕は笑えなかった。
「お前の方には、来てないよな?」
彼の問いに、僕は答えなかった。
その日以来、夜道を一人で歩くのが、異様に怖くなった。
それから数十年が経った今でも、ふと思うことがある。
あの下校道はもう存在しない。
けれど――影の方は、まだどこかを歩いているんじゃないかと。
コメント