私はその電信柱をいつも通り過ぎるたびに、何とも言えない違和感を覚えていた。会社から家までの帰り道、その電信柱は古びていて、周囲の住宅街とは少しだけ異質な存在感を放っていた。
最初はただの気のせいだと思っていた。夜になると、街灯の明かりが薄暗くその電信柱を照らし、時折、風に揺れる電線がカサカサと不気味な音を立てる。それが不気味だと思ったこともあったが、特に気に留めることはなかった。
しかし、ある夜のことだった。仕事が遅くなり、普段よりも遅い時間にその道を歩いていた。街はすっかり静まり返り、人影もほとんどなかった。いつも通り、その電信柱の前を通り過ぎようとした瞬間、足が止まった。
なぜか、あの電信柱がこちらを見ているような気がしたんだ。もちろん、そんなことはあり得ない。しかし、心の奥底から湧き上がる不安感は、私をその場に釘付けにした。どうしようもなく、視線をそちらに向けてしまった。
その時、電信柱の根元に何かが見えた。それは、細い影のようなものがうごめいているように見えたが、暗がりの中でそれが何であるかははっきりとは分からなかった。私はそのまま、その場に立ち尽くしていた。
何も聞こえないはずの場所から、かすかな囁き声が聞こえてくるような気がした。「ここにいるぞ」とでも言っているかのような、低い声だった。その声が頭の中に直接響いてきて、胸が締めつけられるような感覚に襲われた。
私はすぐにその場を立ち去ろうとしたが、足が動かなかった。まるで何かに引き止められているような感覚だった。全身が冷たくなり、背中に冷たい汗が流れた。私は無理やり視線を外し、目をつぶって心の中で「帰ろう」と念じた。
ようやく体が動くようになり、私はその場を後にした。足音がやけに大きく響く中、後ろを振り返らずに家へと急いだ。しかし、あの囁き声が頭の中にこびりついて離れない。
それ以来、私はその道を通ることを避けるようになった。別の道を選ぶことにしたのだ。それでも、時折、家の中で電線のカサカサという音が聞こえるたびに、あの電信柱のことを思い出してしまう。
そして何よりも気味が悪いのは、あの夜以来、夢の中で同じ道を歩いている自分を見ることだ。夢の中では、必ずあの電信柱の前で足が止まり、影が動くのを見つめている。そして、あの囁き声が再び耳元で響き渡るのだ。
「ここにいるぞ」
私は目が覚めるたびに、冷や汗をかいていることに気づく。そして、また次の夜が訪れるのを恐れる日々が続いている。
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