あれは、平成の半ばだった。まだ携帯電話がガラケーで、街には公衆電話が当たり前のようにあった頃だ。世の中全体がどこかピリピリしていて、不景気だ、事件だ、と暗いニュースばかりが流れていた。そんな時代の空気を、今でも肌で覚えている。
あの日、俺は放課後に友達と繁華街に行った帰りだった。駅前で別れてから、一人で家までの道を歩いてたんだ。街灯の明かりが薄くて、歩道のタイルがぼんやり黄色く浮かび上がってた。
そのときだった。道の先に、公衆電話が見えたんだ。緑色のボックスに蛍光灯がぼんやり光ってて、誰もいないのに受話器が外れて揺れてた。風なんかないのに、揺れてる。なんだか嫌な予感がして、足を速めて通り過ぎようとしたんだけど、俺はなぜかその電話機から目をそらせなかった。
そしたら、電話機のスピーカーから音がしたんだ。最初はただのノイズだったけど、それがだんだん人の声に変わっていった。低い声で、何かを呟いてる。いや、呟いてるんじゃなくて、明らかに誰かに向けて話してる感じだった。
「……お前、聞いてるんだろ?」
その瞬間、心臓が止まりそうになった。電話の中の声が、俺に向かって話しかけているような気がしたんだ。怖くて一気に駆け出した。後ろを振り返る余裕もなく、ただ必死で家まで走った。
家に着いて、玄関を開けた瞬間、ポケットの中で携帯が鳴った。小さな液晶画面には「公衆電話」って表示されてた。俺は震える手で電源を切った。でも、その後も何度か鳴り続けて、ついにはバッテリーを抜くしかなかった。
次の日、学校でお前にその話をしたら、「その電話、前にも何人か聞いたことあるって言ってたぞ」って教えてくれたよな。駅前のあの公衆電話は昔から噂があって、あの電話を取ると向こう側から名前を呼ばれるらしい。何で俺がその電話に引き寄せられたのかは、未だにわからない。
でも、あれ以来、俺は街中で公衆電話を見かけると、必ず少し遠回りするようにしてる。あの不気味な緑色のボックスを二度と見たくないからだ。
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