あれは、小学生の頃のことだ。
蝉の声が耳にうるさくまとわりつく、真夏の夕方。公園はまだ子供たちの声で賑やかだったが、その時、僕はひとりでブランコに座っていた。友達とはしゃいで遊んだ後、少しひと息ついていたのだろう。
夕日が木々の間から射し込み、長く伸びた影が地面を横切っていた。蝉時雨の音に紛れてか、いつからか、その影に混じって“何か”がこちらを見ていた。
それは——
人形だった。
いや、人形“のような”もの、と言った方が正確かもしれない。身長は大人の男よりもはるかに高く、手足がやたらと細長い。首の上には不気味に滑らかな顔。まるで、作りかけのマネキンのようで、目や口らしきものはなく、つるりとしていた。
あれが、いつからそこに立っていたのかはわからない。
ただ、ふと目をやると、それは僕のすぐ近くにいたのだ。
その瞬間、体がすくんだ。
足が地面に根を張ったように動かない。心臓が早鐘を打ち、耳元で何かがざわざわと囁いている気がした。暑いはずなのに、指先だけが冷たい。
「おい」
声がした。いや、気のせいかもしれないが、背の高いそれが「おい」と言った気がする。無表情な顔が、すこしだけ前に傾いた。
僕は悲鳴すら出せなかった。
影が地面を這い、僕の足元に届きかけたその時、誰かが僕の腕を強く掴んだ。
「お前、何してんだ! 逃げるぞ!」
その声に、ようやく我に返った。友人の手に引っ張られ、僕は転びそうになりながらも走り出した。夕暮れの公園を駆け抜ける間も、背後に何かがついてくる気がした。耳元では、相変わらず蝉が鳴き続けていたが、あの「おい」という声が重なって聞こえた気がした。
ようやく公園を出て、僕らは近くの駄菓子屋の前で立ち止まった。
振り返っても、もう何もいない。あの背の高い人形も、影も、すっかり消えていた。
「お前、危なかったんだぞ!」
友人は怒ったように言いながら、汗を拭っていた。あの時、友人が助けてくれなかったらどうなっていたか……。いや、考えたくもない。
——僕が見たものは、何だったのだろうか。
あれ以来、僕は夕暮れの公園に一人で行くことはなくなった。でも時折、夏の夕方、蝉の声を聞くと、地面に伸びる影に無意識に目をやってしまう。
友人はそれ以来、あの日のことを話そうとしない。僕も、ずっと口を閉ざしていた。けれど今、改めて思うのだ。
あの時、友人がいなければ、僕は……
いや、やめておこう。
何かが、まだ、そばにいる気がするから。
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