あれは冬の京都、冷え切った空気が肌を刺すような寒い夜でした。私達は寺社巡りの途中、予定を少し外れて人通りの少ない古い路地へ足を向けたんです。観光客もほとんどいなくて、灯りの乏しいその通りには、京都の冬らしい静けさが漂っていました。
その路地の途中に、一軒の古びた家がありました。格子窓が黒ずみ、建物全体がまるで時間に取り残されたような佇まいでした。通り過ぎようとしたそのとき、私達は玄関の引き戸に妙なものを見つけたんです。
引き戸には、いくつもの黒い手形がついていました。子供の手のようにも見えましたが、大人のものかもしれません。ただ普通ではないと感じたのは、その手形がまるで内側から押し付けられたような形をしていたことです。外側に手形がついているならまだしも、内側にこれだけの数があるのはおかしい。戸の向こうから、無数の手が何かを訴えかけるような――そんな不気味な気配を感じました。
「何だこれ……?」
誰かがそう呟き、私達はその家の前で立ち止まりました。立ち入る勇気などあるはずもなく、ただその手形を見つめるだけでした。しかし、寒さの中で足元を固めていた私達の耳に、ふいに「ギシリ……」という音が届きました。
戸の向こう、家の中で何かが動く音でした。その音がした瞬間、全員の背筋が凍りついたのを覚えています。まるで、あの手形の「持ち主」がこちらの存在に気づいたかのようでした。
「行こう」
誰かがそう言い、私達は一歩、また一歩とその家から離れました。でも、完全にその場を離れたわけではなく、振り返りながら歩いていました。最後に私がもう一度引き戸を見ると――そこに、新たな手形がひとつ増えていたんです。今まさに押し付けられたような、まだ湿ったような手形が。
私達は全力で走り出しました。冷たい夜風が顔を刺しても、それを感じる余裕もなく。気づけば駅まで戻っていて、誰もその出来事について話そうとはしませんでした。ただ震える声で「何だったんだ」と何度か呟くだけ。
後で地元の人に聞いた話では、あの家は長い間誰も住んでおらず、手形がついているなんて聞いたこともないとのことでした。あの黒い手形は何だったのか、家の中で動いたものは何だったのか。そして、最後に増えたあの手形は――今でもその答えは分かりません。
あれ以来、冬の京都の静けさには、どこか冷たい恐怖を感じます。あの手形の存在が、背後にいつもひっそりと潜んでいるような気がしてならないのです。
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