それは、私が中学生だった頃、近隣の中学校で流行っていた噂話です。「笑う人」という化け物が、放課後や深夜の校舎で目撃されるというものでした。その名の通り、出会った相手に無言で笑いかけるだけ。けれども、その笑いが異様で、何かを奪われるような感覚になるといいます。
ある日、隣のクラスの田中という生徒が、放課後に「笑う人」を見たと言い始めました。田中は、運動部の後輩に頼まれ、倉庫に忘れ物を取りに行く途中だったそうです。
「倉庫の近くに、変な人が立ってたんだよ。」
それは学校の制服を着た人物で、顔を伏せて立っていたそうです。田中は、「ただの生徒だろう」と思い、声をかけようとしました。ところが、近づくにつれ、その人物が顔をゆっくりと上げたと言います。
「顔が……おかしかったんだ。」
田中によれば、その「人」の顔は、人間とは思えないほど広い笑いを浮かべていたそうです。口角が異常に引き上がり、歯がぎっしりと並んでいる。その目は大きく見開かれていて、まるで笑顔と目だけが浮かび上がっているかのようでした。
「そいつが、何も言わないで、ずっと俺を見て笑ってたんだ。」
田中は足がすくみ、その場から動けなくなったそうです。そして、その「人」が一歩、また一歩とゆっくり近づいてくるたびに、笑い声が響き始めました。声そのものは小さく、どこか遠くから聞こえるような不気味な響きだったといいます。
田中は限界に達し、その場から全力で逃げ出しました。後ろを振り返らず校舎を飛び出し、家に帰るまで走り続けたそうです。
この話の怖い部分は、その後にあります。
次の日、田中が教室に来た時、同級生たちは彼をからかうつもりで、「昨日見たやつ、どんな顔してたんだ?」と尋ねました。すると田中は、何も答えず、ただじっとクラスメートを見つめていました。
「……笑う人の顔、すごくよく覚えてるよ。」
そう言うと、田中は突然大きく口を開けて笑い出しました。その笑い方が、異常に口角が上がり、目も見開かれたまま。周りの生徒たちは思わず後ずさりしましたが、田中は笑いながらこう言ったそうです。
「次は、誰かの番だよ。」
それ以来、田中は学校を休むことが増え、やがて転校してしまいました。けれども、それ以降も学校の中で「笑う人」を見たという話が後を絶ちませんでした。
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