それは、私が小学校5年生の秋のことでした。私たちの校舎には、古びた大きな鏡が廊下の突き当たりに設置されていました。全身が映るくらいの大きさで、木製の枠がついたその鏡は、いつの時代からそこにあるのか分からないくらい古いものでした。普段は誰も気に留めず、ただそこにあるだけの存在でした。
ある日、私は掃除当番で、廊下を一人で掃除していました。夕方近く、窓から差し込む斜陽が鏡に反射して、廊下に奇妙な光の筋を作っていました。誰もいない静かな廊下で、雑巾を絞る音だけが響いていました。
その時、ふと鏡が視界の隅に入りました。何気なく目を向けると、鏡に映る自分の姿が妙に気になりました。普段なら気にも留めないのに、その時はなぜか目を離せなかったのです。
鏡に近づいていくと、自分の姿が少しずつ大きく映り込んできます。でも、なぜでしょう。映っている自分の顔が、どこか違って見えたのです。少し歪んでいるような、あるいは表情が不自然な気がしました。
さらに近づくと、気のせいではないことに気付きました。鏡の中の「私」は、確かにこちらを見ているのですが、その顔には笑みが浮かんでいました。けれども、私は笑っていませんでした。笑っていないどころか、固まった顔のまま、鏡を見つめていたのです。
その瞬間、体がすくみました。鏡の中の「私」は、ゆっくりと口を開きました。何かを言おうとしているのか、それともただ笑っているだけなのか分からない、けれども確実に「動いている」のです。
恐怖でどうしていいか分からず、私は目を閉じました。でも、目を閉じても鏡の中の「私」が頭に浮かび、心臓の音がどんどん速くなっていくのを感じました。数秒後、勇気を振り絞って目を開けると、鏡の中の「私」は、元通りになっていました。何も変わらない、自分そのものでした。
掃除道具をその場に放り出し、私は全速力で校舎を飛び出しました。その後、誰にもこのことを話せませんでした。怖すぎて、笑い話にする余裕すらなかったんです。
けれども、後になって聞いた話では、あの鏡には「誰かがもう一人映り込む」という噂があったそうです。それが生徒なのか先生なのか、それとも別の何かなのかは分かりません。ただ、私が見た「もう一人の自分」が、ただの思い違いだったのかどうか……それだけが今でも答えの出ない謎のままです。
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