川の神

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自然の中で過ごす時間が好きで、鮎釣りも趣味の一環として時折楽しんでいましたが、その日は普通とはまったく違う一日になりました。

それは初夏の早朝、まだ空気がひんやりと澄んでいる時間帯でした。一人で川に出向き、釣り竿を構えながら流れの緩やかな場所に立っていました。川の水は冷たく、透明度が高くて、足元を泳ぐ鮎の姿がはっきり見えるほどでした。

釣り糸を垂らしてしばらくすると、不思議な静けさが辺りを包み始めました。川の流れの音は変わらないはずなのに、妙に耳に届かなくなり、代わりに心臓の鼓動だけがやけに大きく感じられるようになったんです。振り返ると、川の上流から薄い霧が立ち込めてくるのが見えました。

その霧の中、川の真ん中に人影が見えました。背の高い、白っぽい服を着た人物が、浅瀬に立っているようでした。最初は釣り人だと思いましたが、その人影は釣り竿も何も持っておらず、ただ川の流れに逆らうようにゆっくりと立ち続けていました。

私は声をかけようとしましたが、なぜか言葉が出ませんでした。ただ、その人影がこちらをじっと見ているような気がして、体が硬直してしまいました。次第に、その人物の周りに鮎が群れを成して集まり始め、まるでその人影を取り囲むように泳ぎ回っていました。

気づけば、川の流れが異様に静まり、周囲の音がすべて消え去ったように感じました。その瞬間、その人影がすっと霧の中に溶け込むように消え、同時に鮎たちも散り散りになりました。私はその場で呆然と立ち尽くしていましたが、気がつくと霧はすっかり晴れ、周囲は元の川の風景に戻っていました。

釣りを再開する気にはなれず、その日は早めに帰宅しました。後日、地元の人に話をしてみると、「川には昔からそんな不思議な話がある。神様かもしれないし、何かの化身かもしれない」と言われました。

あの体験は、恐ろしいというよりも、どこか神聖で畏怖を感じるものでした。自然の中には、人間の理解を超えた何かが存在しているのだと実感させられる瞬間でした。以来、川で釣りをするときは、あの日の出来事を思い出しながら、少しだけ慎重になった気がします。

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