教室に忘れ物を取りに戻ったときのことは、今でもはっきりと思い出します。あれは中学二年の冬、放課後でした。友人と一緒に校門を出ようとしたとき、ノートを教室に忘れたことに気づきました。「先に行ってて」と友人に言い、私は慌てて教室に引き返しました。
冬の夕方は日が落ちるのが早く、すでに校舎は薄暗くなっていました。教室の電気は消えていて、廊下の非常灯だけがぼんやりと空間を照らしていました。いつもと変わらないはずの校舎が、そのときは妙に広く感じられ、静まり返った空気が耳を圧迫するようでした。
教室に入ると、窓際の机の上に私のノートが置きっぱなしになっているのが見えました。ノートを手に取って振り返った瞬間、教室の後ろの黒板近くで何かが動いたのが視界の端に映りました。
「誰かいるのか?」と思い、反射的に目を凝らしました。そこにいたのは、人間とも言えない、奇妙な影のようなものだったんです。輪郭はぼんやりしていて、黒い霧が集まったような姿。動くというより、漂うようにして黒板の前を横切っていました。
その影が不意にこちらを向いたとき、目が合ったような気がしました。いや、目なんて見えなかったんですが、それでも「こちらを見ている」と確信できる感覚があったんです。すると影が、ゆっくりとこちらに近づき始めました。
逃げなければと思いましたが、足がすくんで動けません。影が近づくにつれて、息苦しくなるような重い空気が押し寄せてきました。心臓が耳の中で鳴り響くようで、体中が冷たくなっていくのを感じました。
そのとき、廊下から誰かが「まだ帰ってなかったのか!」と声をかけてきました。驚いて振り返ると、それは担任の先生でした。教室に目を戻すと、あの影はもうどこにもいませんでした。
私は慌てて教室を飛び出し、先生には「忘れ物を取りに来ただけです」とだけ答えました。それ以上、何があったのかを話す気にはなれませんでした。
それ以来、日が落ちてから教室に戻ることが怖くなりました。あの影が何だったのかは分かりません。あのとき私は、教室で「何か」を見ました。そして、それが私をじっと見返していました。
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