A

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共通の友人――仮に彼を「A」と呼びましょうか。その兄、つまり「Aの兄」は、元々明るく快活な性格で、スポーツも得意でした。地元の子供たちの面倒をよく見ていて、地域でも評判のいい青年だったのを覚えています。それが、ある夏の日を境に、突然部屋にこもり始めたんです。

始まりは、Aがこう話してくれた日からでした。
「兄貴が、山奥の祠で何か拾ってきたらしいんだ」
その「何か」とは、古びた木の箱で、中には色あせた紙切れと、小さな黒い石のようなものが入っていたと言います。石は滑らかで、不思議なほど手に吸い付く感触だったとか。Aの兄はそれを「お守りだ」と言って、自室に持ち帰ったそうです。

けれども、それから数日後、彼は急に元気を失い、学校や仕事にも行かなくなりました。最初は体調不良かと思った家族も、次第にその異常さに気づきました。部屋の中から聞こえる声――それが問題だったのです。

Aの家族によれば、兄は一人きりのはずなのに、部屋の中から何人もの声が聞こえるというのです。男の声、女の声、さらには子供のような声まで――まるで宴会のようにざわめいている。それでもドアを開けると、部屋には誰もいない。ただ兄が無表情で座り込み、小さな黒い石を手で握りしめているだけ。

私とAが様子を見に行ったのは、ちょうどその頃でした。Aの兄に会わせてほしいと言うと、家族はためらいながらも了承してくれました。兄の部屋に入った瞬間、私は胸を締めつけられるような感覚を覚えました。空気が重く、冷たい。窓が閉じ切っているせいではない、異様な冷気でした。

Aの兄は、私たちの呼びかけにも答えませんでした。ただ、彼の目は私たちではなく、壁の一点をじっと見つめていました。その視線の先には、何もない――いや、少なくとも、私たちには何も見えませんでした。

Aが泣きそうな声で「兄貴、何を見てるんだよ」と聞いた時、兄が初めて動きました。手に握りしめていた黒い石をゆっくりと掲げ、低い声でこう言ったんです。

「ここにいる……ずっと……いるんだ」

それが何を意味していたのか、私たちにはわかりません。ただ、その日を最後に、Aの兄は完全に言葉を発しなくなりました。それからは部屋に閉じこもり、ドアを叩いても何も返事がありません。

あの祠で拾った木の箱や石はどうなったのか。Aの家族は、全てを川に流したと言っていましたが、それが正しかったのかどうかもわからない。ただ一つ言えるのは、Aの兄はそれ以来、一度も外に出てきていないということです。

あれは一体、何だったのでしょうね。祠の「何か」が、Aの兄に何を見せたのか――考えれば考えるほど、底知れない不安が胸に湧いてくるんです。

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