思い出せない

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学生時代、アルバイトをしていた小さな倉庫での話です。その倉庫は、古びた商店街の端にあり、夜になると周囲の店が閉まるせいか、妙に静まり返る場所でした。私がそこで働いていたのは夕方から深夜にかけての時間帯で、荷物の整理や翌日の配送準備が主な仕事でした。

ある日、いつも通りの作業をしていると、不意に自分の名前を呼ばれる声が聞こえました。

「〇〇くん」

それは、小声とも大声とも言えない、不思議な響きの声でした。まるで倉庫全体に染み込むように響き渡る、けれど確かに自分の耳に届いている声。誰だろうと周囲を見回しましたが、同僚は少し離れた場所で作業をしており、こちらを見てもいません。

一瞬の空耳だと思って、作業を続けました。しかし、それからも、時折「〇〇くん」と呼ぶ声が耳に入ってきます。同じトーン、同じ呼び方で、まるで私が気づくのを待っているかのように。

気になった私は休憩時間に同僚にそれとなく聞いてみました。

「ここで変な声とか聞いたことある?」

すると、彼は驚いた顔をして、ためらいがちに言いました。

「あるよ。俺も名前呼ばれたことある。でも、気のせいだと思って気にしないようにしてた」

他のバイト仲間に聞いてみても、似たような話をする人が何人かいました。どうやら、倉庫内で名前を呼ぶ声が聞こえるのは珍しいことではないようでした。しかし、それ以上の詳細は誰も知らない様子です。

ある晩、私はどうしてもその声の正体を確かめたくなり、少し無理をして残業を申し出ました。同僚たちが帰った後、一人で倉庫に残り、声がするのを待つことにしたのです。

倉庫は夜になると一層冷え込み、古い蛍光灯の音が耳障りなほど響きます。しばらく作業を続けていると、また聞こえました。

「〇〇くん」

今度ははっきりと聞こえた。音の方向を探ろうと耳を澄ませると、それがどうやら倉庫の奥から聞こえるような気がしました。

その奥には、普段誰も立ち入らない古い棚が並ぶエリアがありました。かつて使われていたけれど、今は忘れられたような荷物が押し込まれている場所です。懐中電灯を手に、そのエリアへ足を踏み入れると、埃っぽい空気が鼻をつきます。

すると、ある棚の前で足が止まりました。そこには、年代物の木箱が積み重なっていて、その一つだけがなぜか異様にきれいな状態でした。箱の蓋を開けると、中には古い帳簿と数枚の写真が入っていました。写真には、この倉庫の前に立つ数人の男性が写っていて、その中に見覚えのある顔がありました。

「これ……」

そこには、今の倉庫のオーナーの若い頃の姿が写っていたのです。ただ、それよりも奇妙だったのは、もう一人の男性の顔。その人は、私に声をかけてきた誰かの姿にそっくりだったのです。声の主が誰かはわからないまま、私はそっと箱を元に戻し、その場を後にしました。

その日以降、声はぱったりと聞こえなくなりました。それが歓迎だったのか、警告だったのか、いまだにわかりません。ただ、あの箱に触れたことが何かを変えたのだと、妙な確信が心の中に残っています。

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