呼んでない

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会社の同僚たちと飲みに行った帰り道のことだ。その日は金曜日で、二次会、三次会と盛り上がり、深夜を過ぎてようやく解散となった。私は終電を逃し、仕方なく歩いて自宅まで帰ることにした。

街灯の少ない住宅街を一人で歩いていると、背後から「おーい」という声が聞こえた。酔っているせいか、何の警戒もせずに振り返る。だが、誰もいない。気のせいかと思い、そのまま歩き始めた。

しばらくすると、再び「おーい」という声がした。今度は明らかに近い。振り返ると、街灯の光がぼんやりと揺れる暗がりに、人影が立っていた。近づいてくる気配はない。ただ、こちらをじっと見つめているようだった。

気味が悪くなり、早足でその場を離れることにした。その時、また声が響いた。

「呼んでないのに、なんで来た?」

声の調子が少し変わり、冷たく、低くなっていた。心臓が一気に早鐘のように鳴り出す。私は足早に歩き続け、何度も後ろを振り返ったが、人影はついてきていなかった。

自宅のマンションにたどり着き、エントランスの扉を開けたとき、背中に奇妙な感覚が走った。まるで誰かがすぐ後ろに立っているような気配。怖くなり、振り返らずにエレベーターに飛び乗り、ボタンを連打した。

自分の部屋の鍵を開けて中に飛び込むと、ようやく安心した。玄関の扉を閉め、鍵を二重にかけ、ため息をつく。酔いも覚めていないし、気のせいだろうと自分に言い聞かせ、シャワーを浴びることにした。

浴室の鏡に映った自分の顔はひどく疲れていた。蒸気でぼんやりした鏡を拭ったその瞬間、背後にぼんやりと立つ影が見えた。今度ははっきりと声が聞こえた。

「呼んでないのに、なんでいる?」

慌てて振り返ったが、誰もいない。鏡を見ても、そこには自分一人しか映っていなかった。しかしその後、部屋に戻ると、異様な違和感が襲ってきた。

リビングの隅に置いてあるカーテンが、不自然に膨らんでいる。まるで誰かが隠れているように。震える手でカーテンを引き開けると、そこには何もなかった。だが、窓ガラスに曇った指跡が残っていた。

その夜、私は一睡もできなかった。それ以来、帰宅すると必ず「ただいま」と声をかけるようになった。呼んでいなくても、何かがそこにいる気がしてならないのだ。

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