怪談

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それは、ある村に伝わる不思議な風習についての話だ。

大学の民俗学ゼミで知り合った先輩から、地方のとある集落についての調査を頼まれたのが始まりだった。山間部の小さな村で、古くから「合掌」という行為に特別な意味を持たせてきた場所だという。仏教的な礼拝の合掌とは少し異なり、彼らは何かを「納める」意味を込めて行っているらしかった。

先輩から送られてきた資料には、独特な記述が多かった。
「合掌は礼儀ではなく、蓋を閉じる行為」
「手を合わせると同時に『心』を収める」
「一度合掌したものは、再び触れてはならない」
意味がつかめないまま、私は調査のためにその村を訪れることにした。

村に着いたのは、夕方近く。空は茜色に染まり、山々の影が静かに迫ってくる時間だった。出迎えてくれたのは、小柄な女性だったが、どこかぎこちなく、笑顔も作り物のようだった。彼女は短い挨拶の後、真顔でこう言った。

「村では絶対に、勝手に手を合わせてはいけません」

その言葉が気味悪く思えたが、理由を尋ねても、ただ「そういうものです」と繰り返すばかりだった。宿泊する古い民家に案内される途中、道端に奇妙な光景を見た。村のあちこちに、小さな祠のようなものが点々と置かれている。それぞれの祠の中には、何か黒ずんだものが収められており、祠の前では合掌の姿を模した木像が置かれていた。

「これは何ですか?」と尋ねると、案内してくれた女性は顔を曇らせ、「触れないでください」とだけ言った。

その夜、私は眠りが浅かった。古い木材の軋む音や、外を歩く足音が微かに聞こえる。誰かが祠を見回っているのかと思ったが、窓から覗いても誰の姿も見当たらない。

翌朝、村の資料を探るために旧家の蔵に向かうと、古びた巻物や日記帳がいくつか見つかった。その中の一冊に、ある異様な記述があった。

「合掌の中には『残すべきでないもの』を封じる」
「手を合わせた者は、触れてはいけない。触れた者は『見つけられる』」

巻物には合掌の作法が描かれていたが、その先に祠を囲む村人たちの絵が続いていた。祠の中身は人間の形をしているようにも見えたが、何が描かれているのか曖昧にぼかされている。

調査を終え、帰りの支度をしているとき、私はふとした興味から、一つの祠の扉をそっと開けてしまった。その中には、黒く乾いた何かが納められていた。形は人間の手のようだった。思わず扉を閉じ、逃げるようにその場を離れたが、その夜から奇妙な現象が起き始めた。

窓の外で何かが動いている気配がする。音はないが、暗闇の中でかすかな視線を感じる。そして何より怖かったのは、手を合わせようとする自分の衝動だった。何度も、無意識のうちに手が合わさりそうになる。そのたびに、自分を必死に抑え込んだ。

翌朝、村を出る際に案内の女性が言った。
「もし手を合わせたら、それが最後です。あなたの心はもう自分のものではなくなる」

都市に戻った後も、その記憶は消えない。夜になると、祠の前に立つ木像が目を閉じていたことを思い出す。そして、それが今も私の中に封じられている気がしてならない。

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