僕は毎朝7時半に家を出て、8時ちょうどの電車に乗るのが日課だ。その日は寝坊して、一本遅い電車に乗った。いつもと違うリズムに少し気まずさを感じながら駅のホームに立っていると、電車が滑り込んできた。
電車はがらんとしていた。通勤ラッシュを過ぎた時間帯のせいだろう。僕は窓際の席に座り、ぼんやりとスマートフォンをいじっていた。
しばらくして、妙なことに気がついた。隣の車両から、かすかに笑い声が聞こえる。子供のような、甲高い笑い声。こんな時間に子供が乗っているなんて珍しいと思いながら、気にしないようにした。
けれども、その笑い声は次第に近づいてくる。そして、はっきりと聞こえるようになった。
「ねえ、ここにいるよ」
声がした方向を振り返ると、そこには誰もいなかった。代わりに、反対側の車両の窓に何かが映っているのが見えた。
それは人の影のようだった。小さな子供のように見えるが、動きが奇妙だった。手足が不自然に揺れ、顔が見えない。ただ、影だけが窓越しにこちらを見ているような気がした。
僕は思わず席を立ち、車両を移動した。けれど、移動先の車両の窓にも同じ影が映っていた。
次の駅で降りようと決めた。ドアが開くと、すぐにホームに飛び降りた。後ろを振り返ると、電車の中には誰もいない。ただ、窓には相変わらずその影が映っていた。
ホームに立ち尽くしていると、アナウンスが流れた。
「本日8時発の電車は運休しております。次の電車をご利用ください」
そういえば、この電車は遅れていた。けれど、僕が乗っていた電車は何だったのだろう。あの影は、そしてあの声は。駅のホームに立ちながら、僕は背後の静けさに耳を澄ませた。
すると、また聞こえた。
「ねえ、ここにいるよ」
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