アルバイトで夜間警備の仕事をしていた。場所は廃業したデパートのビルで、昼間は事務所として一部が使われているが、夜になると人気がなくなる。
その夜、僕は一人で巡回をしていた。4階まで見回りを終え、エレベーターで5階に向かおうとしたが、なぜかドアが閉まらない。しばらくして、エレベーターの中に「ピンッ」という小さな音が響いた。何かが動いた音だと思ったが、何も見当たらない。
仕方なく階段を使うことにした。4階から5階へ上がる途中、足音が聞こえた。カツ…カツ…と規則正しい音が、僕の後ろからついてくる。
振り返ると誰もいない。けれど、音は確かに聞こえる。歩き出すと、またその足音がついてくる。けれど、奇妙だったのは、それが「音だけ」だということだ。
音がするはずの距離を見ても、何もない。影もない。ただ、耳元でカツ…カツ…と聞こえるだけ。
怖くなり、足を速めて5階へ到達すると、音はピタリと止んだ。安堵の息をついたその瞬間、廊下の突き当たりに何かが見えた。
誰かが立っていた。人影は背を向けて、何かを見ているようだった。暗がりの中、その姿はまるで生気を感じさせなかった。声をかけるべきか迷っていると、その影がゆっくりと振り返った。
顔は暗くて見えない。ただ、その影は何かを言っているように口を動かしている。けれど、無音だった。
耳を澄ませた瞬間、今度は耳の奥で「カツ…カツ…」という足音が鳴り始めた。それは頭の中を駆け巡るようで、次第に大きくなっていった。
僕は耐えられず、階段を駆け下りてビルを飛び出した。外に出ると足音は消え、周囲は夜の静けさに包まれていた。
その後、警備のバイトはすぐに辞めた。でも、夜道を歩いていると、たまにあの「無音の足音」が耳の奥で響くことがある。
近づいてくるあの音が、いつか本当に僕を追い越していくのではないかという気がしてならない。
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