あの夜、俺はなぜか眠れなかった。蒸し暑い真夏の夜、風もないのにカーテンがひらひらと揺れている。窓は閉めたはずなのに。
テレビの砂嵐が部屋の中に響いている。寝る前に消したはずだったのに、いつの間にか点いていた。消そうとリモコンを手に取ったが、なんとなくそのままにしてしまった。
砂嵐の画面を見ていると、なんだか目が疲れてきた。けれども視線をそらす気になれない。画面のノイズの中に何かがあるような気がしたからだ。
それはただの錯覚かもしれなかった。けれど、画面の端の方に、確かに何か「動いているもの」が見えた。黒い…紐のようなもの。それが画面の隅からじわじわと伸びてくる。
「なんだこれ…」
気づけば、俺はテレビの前に立っていた。手を伸ばせばその紐に触れられるほど近い。だが、画面の中のはずのそれは、現実の空間に侵食するように漂ってきていた。
ふと、紐に目を凝らすと、それが一本の髪の毛だと気づいた。長く、濡れたように光っている。触れたら嫌な感触がしそうだ。
「触らないほうがいい」
誰かの声がした。振り返ったが誰もいない。けれども、紐――いや、髪の毛は止まらない。さらに伸びて、俺の足元にまで到達していた。
逃げようとした瞬間、髪の毛が一瞬で跳ね上がり、俺の足首に絡みついた。冷たくて、生温かい。そして、次の瞬間、画面の中から「顔」が現れた。
いや、顔と呼べる代物じゃない。目も鼻も口もはっきりしない。けれど、確かに「こちらを見ている」という感覚だけがある。その「視線」が俺の意識を重くしていく。
足が動かない。声も出ない。髪の毛がじわじわと足から上へ、腰へ、胸へと絡みついていく。
「ほつれたんだ」
再び、声がした。今度は耳元で囁くように聞こえた。「だから、繋げなくちゃいけない。お前を使って。」
髪の毛は首にまで達し、ギリギリと締め付ける。呼吸ができなくなる。そのとき、画面の中の「顔」が口を開けた。笑っているようにも見えたし、怒っているようにも見えた。
そこで意識が途切れた。
気づけば、俺はベッドの上で目を覚ましていた。朝日がカーテン越しに差し込んでいる。夢だったのか、と自分に言い聞かせた。
けれど、足首を見たら、赤黒い痕が残っていた。それが何なのか考えないようにした。考えたら「繋げられてしまう」気がしたから。
そして今夜も、なぜか砂嵐のテレビが点いている。
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