あれは仕事帰りの深夜だった。季節は冬、吐く息が白くなるほど寒い夜。駅から家までの道を歩いていると、ふと人通りの少ない裏通りにあるアパートの窓が目に留まった。
その窓だけが真っ黒だった。カーテンでも閉めているのだろうかと思ったが、よく見ると違う。光を遮っているわけではなく、窓ガラスそのものが黒く染まっているように見えた。
妙に気になり、その場に立ち止まってじっと見つめていると、窓の奥で微かに何かが動いた気がした。だが、その瞬間、後ろから車が通り過ぎ、振り返った拍子に窓を見失った。
翌日、仕事帰りに再びそのアパートの前を通った。昼間なら何でもない普通の住宅街だったが、どうしてもあの黒い窓が気になった。窓のある部屋は最上階の端っこ。階段を上がれば簡単に近づける位置だ。
「ただの勘違いだろう」と思いつつ、私は階段を上がり、あの部屋の前に立った。すると、扉に貼り紙がしてあり、何かが書かれていた。
「絶対にこの窓を覗かないでください」
胸がざわついた。貼り紙があるということは、何かしら問題があるのだろう。でも、そんな注意書きがされていること自体が、逆に好奇心を掻き立てた。
その晩、何かに取り憑かれたように再びそのアパートを訪れた。夜の静けさに紛れて、あの黒い窓を再び見上げた。
驚くことに、窓の中には人影があった。黒い影が、窓の内側からじっとこちらを見つめている。鳥肌が立ち、逃げるようにその場を後にした。
だが、帰り道で振り返ると、影が今度は別の窓に映っていた。その影は、私を追ってきているのだと悟った瞬間、背中に冷たいものが走った。
その後、アパートに関する情報を調べてみたが、特に変わった歴史や事件は見つからなかった。ただ、地元の人々はあの建物に近づこうとしない。理由を尋ねても、「あそこは見ちゃダメだ」としか答えてくれない。
そして今、家のカーテンを閉めたはずの窓に、微かに黒い影が映っているのを感じる。
それが、誰なのか、何なのか――知りたくないのに、窓に引き寄せられるような感覚が消えないのだ。
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