私が住んでいるアパートは、どこにでもあるような古い2階建てで、住人同士の関係も薄い。隣人がどんな人かもよく知らないし、顔を合わせても挨拶を交わす程度だった。
そんなある日、ポストに入っていたのは「住民アンケート」と題された薄い封筒だった。管理会社が住人の意見を聞くためのものらしい。引越しを考えていた私は、それを適当に済ませて返送した。
質問項目の中に「お隣の住人をご存じですか?」という項目があった。隣に住んでいるのは確か40代くらいの男性で、名前も覚えていなかったが「知っている」に丸を付けた。
それから数日後、隣室の部屋の前にゴミ袋が放置されているのを見かけた。珍しいことだと思ったが、特に気にせず仕事に向かった。
その夜、帰宅してから妙な違和感を覚えた。隣の部屋からいつも聞こえていた生活音がまったくしない。確かに人が住んでいたはずなのに、まるで空室のような静けさだった。
次の日、管理会社に連絡してみたが、「その部屋には現在、住人はいない」との返事が返ってきた。いや、そんなはずはない。昨日まで普通に人が住んでいたのに。
さらに調べてみると、私の他にも「いなくなった隣人」の話をする住人がちらほらといた。ただ、それ以上深く話そうとする人はいない。みんな、どこか腫れ物に触れるように話を避けた。
翌週、またポストにアンケートが届いた。今度は「お隣の住人について、詳しい情報を記入してください」という項目が増えていた。どこか不気味に感じた私は、意識的にその項目を空欄にして返送した。
その晩、隣の部屋から物音がした。誰もいないはずの部屋から、何かを引きずるような音が響いてきた。恐る恐る壁越しに耳を当てると、微かに誰かの声が聞こえる。
「……次は、あなた……」
心臓が止まりそうになり、急いで部屋を飛び出した。管理会社に電話をかけ、隣の部屋に誰かいると訴えたが、「確認します」と言われただけだった。
それから数日後、隣の部屋は本当に空室になっていた。窓には「入居者募集中」の張り紙が貼られ、内覧の案内まで出ている。
しかし、ある夜、私の部屋のポストに再びアンケートが届いた。中身を確認すると、質問項目の一番上に、こう書かれていた。
「あなたの隣室はどこですか?」
その瞬間、背後に誰かの気配を感じた。振り返ると、そこには誰もいない。ただ、自分の部屋の隣に「どんな部屋があったのか」思い出せなくなっていることに気づいた。
隣人が消えるのか、それとも、私が隣人として「選ばれた」のか。
今でも時折、部屋にいると隣の壁から声が聞こえる。それが何を囁いているのだろうか。
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