氷スプーン

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大学の夏休み、私は田舎に住む祖父の家に遊びに行った。山間の静かな村で、毎日がんがんに暑かったが、縁側でスイカを食べたり、川で泳いだりと、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていた。

そんなある日、村で少し変わった噂を耳にした。

「夜中に冷凍庫を開けるな。氷のスプーンが来るぞ」

祖父が楽しげに教えてくれたが、その言葉の意味が分からず、「なんだそれ」と笑った。

「まあ、昔からの言い伝えさ。冷凍庫の氷が勝手に減ってる時があるだろう? それは氷のスプーンが食べに来るんだよ」

なんとも奇妙な話だったが、あまり気にしなかった。

その晩、寝苦しさに目を覚ました。窓を開けても涼しい風は入らず、喉が渇いて仕方なかった。冷たい水を飲もうと台所に向かったが、ふと冷凍庫のことを思い出した。

氷のスプーン? 馬鹿馬鹿しい。

しかし、何となく確かめてみたくなった。冷凍庫を開けると、中には冷えた氷のトレーがあった。何も異常はない……はずだった。

次の瞬間、冷凍庫の奥から「カチカチ」と何かを叩く音が聞こえた。音は次第に大きくなり、氷のトレーが震え始めた。驚いて後ずさると、冷凍庫の奥から、何か細長いものがゆっくりと出てきた。

それは、金属製のスプーンだった。凍りついた霜に覆われているが、自ら動いている。氷のトレーを叩く音の正体は、このスプーンだった。

スプーンは一度トレーの中の氷を掬い上げると、まるで自分が満足したように、カチリと音を立てて冷凍庫の中に戻っていった。

恐怖に震えながら冷凍庫の扉を閉め、祖父にそのことを話した。だが、祖父は少しも驚かなかった。

「ああ、出たのか。あいつは食べるだけだから害はないよ。でもな、間違ってスプーンを外に出すなよ」

「なんで?」

「外に出ると、次は氷じゃなく人を凍らせるって話だからな」

祖父の話は冗談のようにも聞こえたが、真顔だった。私はそれ以来、冷凍庫を開けることが怖くなった。

数日後、村を離れる前夜、深夜にまた冷凍庫の音が聞こえた。カチカチ、カチカチ。今回は、なぜか音が家中に響いているように感じた。

恐る恐る台所に行くと、冷凍庫の扉が少しだけ開いていた。そして床には、氷のスプーンが転がっていた。

それは、じわじわと私の足元に向かって動き始めた。冷たい空気が足にまとわりつき、私は必死で逃げ出したが、スプーンの音はどこまでも追いかけてくる。

翌朝、祖父の家を離れる時、冷凍庫を確認する勇気はなかった。ただ、スプーンがどこかで待っているような気がしてならない。

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