私がまだ子供だった頃、夏休みに祖父の家に遊びに行くのが楽しみだった。祖父の家は山奥の小さな村にあり、静かでどこか神秘的な場所だった。ある年の夏、私は祖父に戦時中の話を聞かせてもらった。その中でも、特に印象に残っているのが、この話だ。
「お前がまだ知らない頃の話だがな、あれは戦争の真っ只中だった。村も食糧が不足していて、何をするにも不安がつきまとっていた。みんなが疲弊しきっていたんだ。そんな時、村の者たちは絶対に森に入るなと口を酸っぱくして言っていた。夜に森に入った者は二度と戻ってこないってな。
でも、俺の友達のアキラは、どうしても家族に食べ物を持ち帰らなければならなかったんだ。だから、ある夜、彼はその禁を破って森に入ったんだよ。村の者たちが止めたが、彼は決意が固かった。『家族のためだ』って言い残してな。
それから朝が来ても、アキラは戻ってこなかった。村のみんなで森に入って捜索したんだが、見つかったのは彼の懐中時計だけだった。あの時計は、アキラの母親が贈ったものだ。彼はいつもそれを大事に持っていた。
しかし、アキラ自身はどこにも見当たらなかった。まるで消えてしまったように、森の中から痕跡が一切なくなっていたんだ。
それからだ、村で奇妙な噂が広がり始めたのは。森の中から、アキラの声が聞こえるってな。夜になると、何かが木々の間をさまよっているような気配がするんだ。村の若い者たちが好奇心で森に入ろうとしたこともあったが、誰も帰ってこなかった。それ以来、森に近づくことは厳禁となった。
俺も一度、夜中にあの森の近くを通ったことがあるんだ。村の用事でどうしても避けられなかったんだが、その時、確かに聞こえたんだよ。アキラの声が、かすかに『助けてくれ』って言ってた。でも、振り返って森を見る勇気はなかった。怖くてたまらなかったんだ。
今思えば、あの森には何かが住んでいたんだろう。戦争中の恐怖だけじゃなく、もっと古い何かが……俺たちは戦争とともに、その恐ろしいものとも戦っていたのかもしれない。そう思うと、戦争が終わっても、あの森だけは二度と近づくべきじゃないと心から感じるんだ」
祖父はそう言って、静かに語り終えた。その目には、何か深い悲しみと恐怖が宿っていたのを、私は今でも忘れられない。
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