あの日のことは今でもはっきり覚えている。夜勤を終えて帰宅したのは深夜2時過ぎだった。疲れていたけど、シャワーを浴びてから寝ようと思い、部屋に入るなりバッグを放り出した。
ワンルームの部屋は静まり返っていて、窓の外には月明かりだけがぼんやりと射している。シャワーの音が心地よい眠気を誘ってきたが、突然、インターホンの音が鳴り響いた。
「ピンポーン」
深夜だし、誰かのいたずらかと思った。でも、なんとなく嫌な気配を感じたんだ。シャワーを止め、タオルを巻いたままモニターを確認した。
……誰もいない。
「まぁ、こんな時間だしな」
そう思いながら、またシャワーを浴びようとしたその瞬間、再びインターホンが鳴った。
「ピンポーン」
モニターには何も映っていない。酔っ払いのいたずらか、機械の故障かもしれない。そう自分に言い聞かせて布団に潜り込んだ。でも、その夜、インターホンは止まることがなかった。
何度も鳴る音に、とうとう耐えきれなくなり、私は玄関に向かった。チェーンを掛けたまま、そっとドアを開けた。
廊下には誰もいない。
ホッとしたのも束の間、足元に何かが置かれているのが見えた。それは、小さな紙袋だった。まるで誰かが急いで置いていったかのように、口が開いた状態で無造作に転がっている。
中を見ると、古い鍵が一つ入っていた。見覚えのない、古びた錆びついた鍵だ。
翌朝、管理人に相談しに行った。昨夜のインターホンの件と紙袋の話をすると、管理人は困ったような顔をした。
「そうですか……またですか」
また? 思わず聞き返すと、彼は「まあ、気にしない方がいい」とだけ言い、詳しくは教えてくれなかった。ただ、「その鍵は捨てた方がいい」とだけ言われた。
言われた通り、鍵をゴミ袋に入れて捨てた。その日は何事もなく過ぎていったけれど、翌朝、目が覚めると、部屋のテーブルの上にあの鍵が置かれていた。
頭が真っ白になった。気味が悪くて、鍵をそのまま持って近くの川に投げ捨てた。それでも、翌朝にはまた鍵が戻ってきていた。
それから何日も、夜になるとインターホンが鳴り続けた。鳴り方はだんだんと速く、乱暴になり、音量も大きく感じられた。私は耐えられなくなり、引っ越しを決意した。
引っ越し当日、最後に荷物をまとめていると、玄関のドアに大きな音がした。バタン、バタンと、何かが外側から激しく叩いている。
ドアを開けるべきではないと思った。だが、どうしても気になって、恐る恐るドアスコープを覗いた。
視界には、こちらをじっと見つめる「人の目」があった。
それが誰なのか、今でも分からない。ただ、引っ越し先ではもうインターホンは鳴らない。だけど、あの錆びついた鍵だけは、どこに捨てても戻ってくるままになっている。
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