湯の中の自分

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それは、仕事の疲れを癒すために、いつものように熱い湯船に浸かっていた夜のことだった。長い一日が終わり、家に帰るとまず風呂に入るのが僕の習慣だ。あの時も同じように、ゆっくりと湯船に浸かり、目を閉じて一息ついていた。

湯の中で体がほぐれていく感覚が心地よく、だんだんと意識がぼんやりしてきた。ふと、目を開けて自分の足元を見た瞬間、違和感を覚えた。湯船に浸かっている自分の足が、まるで自分のものではないように感じたんだ。

「疲れているんだろう…」そう思いながら、再び目を閉じた。だが、その不安な感覚が頭から離れなかった。もう一度目を開けてみると、今度はもっとおかしいことに気づいた。水面に映る自分の顔が、何か違う。

湯の表面にぼんやりと映った自分の顔は、確かに僕のはずだった。しかし、その顔はどこか無表情で、目は暗く沈んでいた。まるで、鏡に映った「自分」が僕のことを見ていないかのように感じたんだ。

さらに奇妙だったのは、その顔が動いていないことだった。僕が少し体を動かしても、水面に映る顔はまるで固定されたようにじっと動かない。その瞬間、全身に寒気が走った。

「これ、俺じゃない…?」

そう思った途端、背筋が凍りついた。水面に映る「自分」は、僕が動いていないのに、ゆっくりと笑みを浮かべ始めたんだ。口元がゆっくりと歪み、その顔がまるで楽しんでいるかのように、僕を見つめている。

反射的に体を動かして湯船から飛び出したが、その瞬間、風呂場の空気が異様に重く感じられた。湯から立ち上がっても、足元がふらつくような感覚が続き、心臓がドクドクと音を立てていた。

鏡の前に立って顔を見たが、そこに映る自分はいつもの僕だった。しかし、まだ湯船の中に「誰か」がいるような気がしてならなかった。浴室に残る湿った空気が、まるで僕を包み込むようにまとわりついていた。

その夜、何とか湯を抜いて風呂場を後にしたが、それ以来、風呂に入る時はどこか落ち着かない。湯船に浸かるたびに、またあの「自分」が現れるのではないかという恐怖が消えないんだ。あれは本当に僕だったのか、それとも…何か別のものが僕の姿をしていたのか、未だに答えは見つからない。

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