僕がその山奥の小屋に泊まったのは、冬のことだった。友人に誘われて、スキー旅行に出かけたが、途中で天候が悪化し、急遽山小屋に避難することになった。小屋は古びていて、今にも崩れそうなほどの老朽化が進んでいたが、吹雪の中、他に選択肢はなかった。
外は雪が激しく、風が吹き荒れていた。寒さに凍えながら、僕たちは小屋の暖炉に火を灯し、体を温めた。外には誰もおらず、雪が積もる音だけが静かに響いていた。友人たちは疲れてすぐに眠りに落ちたが、僕はなぜか眠れず、ただ窓の外の景色を眺めていた。
真っ白な雪が一面に広がり、視界はほとんどなかった。しかし、ふと窓の外に人影が動いているのが見えた。誰かが雪の中を歩いている…そう思った瞬間、心臓が一瞬止まった。ここは山奥で、僕たち以外に人はいないはずだ。
その影は、ゆっくりと小屋の方へ近づいてくるのが分かった。寒さを感じているのか、それとも何かを探しているのか、少し前屈みで、地面に手を伸ばしているようだった。そして、よく見ると、その人影は雪を掬い、口元に運んでいるように見えた。
「雪を食べている…?」
一瞬、自分の目を疑った。外は猛吹雪だし、気温は氷点下だ。そんな場所で雪を食べているなんて、常軌を逸している。僕は寒気を感じ、窓から目を離そうとしたが、どうしてもその影が気になって仕方がなかった。
さらに近づくと、今度はその人影がはっきりと見えた。それは、ぼろぼろの服をまとった年老いた男だった。顔はうつむいていて見えなかったが、手で雪を掴み、何度も何度も食べ続けている。普通の人なら凍え死んでしまいそうな寒さの中、その男はひたすら黙々と雪を食べていた。
その異様な光景に恐怖を感じ、僕は思わず後ずさりした。しかし、次の瞬間、その男がこちらを向いたのだ。目が合った…そう思った瞬間、僕は体が硬直してしまった。
彼の目は真っ黒で、何も映していないようだった。何かを訴えているようでも、感情があるようでもなく、ただ空っぽの目で僕を見つめていた。そして、口元は雪に汚れた唇を歪め、笑っているように見えた。
突然、外で風が一層激しくなり、小屋の壁が揺れた。その音にハッとして目を逸らすと、気がついた時にはその男の姿は消えていた。慌てて窓の外を見回したが、どこにも人影はなかった。ただ、雪がどんどん積もるばかりだ。
翌朝、友人たちにそのことを話すと、皆「お前の見間違いだろ」と笑って取り合わなかった。でも、僕は確かに見たのだ。あの男が、あの空っぽの目で、雪を食べていた光景を。
それ以来、冬が来るたびに、雪を見るたびに、あの男の顔を思い出してしまう。彼は今も、どこかで雪を食べ続けているのだろうか…そう思うと、どうしてもあの山には近づけなくなってしまった。
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