神経質

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田中は都内の小さな事務所で働いていた。ごく普通の事務員で、誰にでも分け隔てなく接し、職場でも特に目立たない存在だった。しかし、数ヶ月前から職場の雰囲気に違和感を覚え始めていた。

最初はほんの些細なことだった。同僚たちが自分の話だけを聞いていない、必要な書類がなぜかいつも手元に来ないといった小さなミスが頻発する。それに加えて、気づくと誰かが自分をじっと見ているような感覚に囚われることが多くなっていた。

それでも田中は「自分が神経質になっているだけだ」と自分に言い聞かせていた。だが、ある日、どうしても避けられない問題が起きた。大事な会議の資料がすべて紛失していたのだ。机の上に置いておいたはずの書類が、朝になると一切見当たらない。

同僚たちに聞いても誰も知らないと言う。上司には厳しく叱責され、田中は一人で全ての責任を背負うことになった。しかし、その後も不可解な出来事は続いた。パソコンのデータが勝手に消され、田中の私物が無くなることもしばしばあった。

ある日、とうとう田中は耐えきれなくなり、同僚に「最近おかしなことが起きている」と打ち明けた。しかし、相手の反応は冷たかった。

「何言ってるんですか?そんなの気のせいですよ。それに…もしかして、自分の仕事のミスを他人のせいにしようとしているんですか?」

その言葉に、田中はショックを受けた。なぜこんなことを言われるのか分からなかったが、それ以来、他の同僚たちも田中に冷たい態度を取るようになった。

そしてある夜、田中は職場に一人残って仕事をしていた。静まり返ったオフィスの中で、ふと背後に視線を感じた。振り返ると、誰もいない。しかし、その視線は確かに存在していた。何かがじっと自分を見つめている…。

その時、机の上にあるメモに目が留まった。そこには、ボールペンでぎっしりと文字が書き込まれていた。「お前のせいだ」「みんな嫌っている」「もうここにいる資格はない」。心臓が凍りついた。そんなメモを書いた覚えは全くない。

さらに、次の日から田中のメールボックスには匿名の中傷メールが届くようになった。そこには田中を中傷する言葉や、無言のメッセージが繰り返し送られてきた。誰がこんなことをしているのか見当もつかない。あるいは、職場全体が一つになって田中を追い詰めようとしているのか…。

田中はすぐに会社を辞めようと決心した。だが、辞表を提出しようとしたその日、鍵がかかっているはずのロッカーが無造作に開いており、中に自分の私物が一切無くなっていることに気づいた。誰かが自分の全てを消し去ろうとしているかのように感じられた。

最後に田中は、ふと窓の外を見た。そこには誰もいないはずの夜のオフィスビルが映り込んでいたが、ガラス越しに確かに何かがこちらを見つめていた。それは人の形をしていたが、人ではなかった。そして、そいつの口元がゆっくりと動いていた。

「お前のせいだ」と、静かに囁く声が、頭の中に響いた。

田中は慌ててその場を立ち去り、二度とその職場に戻ることはなかった。しかし、田中がその後も味わう悪夢の中では、あの視線と囁きが決して消えることはなかった。それは、呪いではなく、ただ純粋な悪意の成れの果てだったのだ。

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