田舎に住む祖母は、料理が得意で、いつも季節の食材を使った美味しい料理を作ってくれた。夏休みになると、私は毎年祖母の家を訪れ、彼女の手料理を楽しむのが恒例だった。特に長芋を使った料理が私のお気に入りで、すりおろしてご飯にかけるだけの単純な料理が、子供の頃から大好きだった。
ある年の夏、私はいつものように祖母の家に滞在していた。ある日、祖母が台所で長芋をすりおろしているのを見て、私はふと手伝いたい気持ちになった。
「おばあちゃん、私にも手伝わせて」
そう言って、私はすり鉢とすりこぎを受け取った。祖母は微笑んで、「じゃあ、これをすりおろしてみなさい」と長芋を私に渡した。私は台所の片隅に座り、すり鉢の中で長芋をすりおろし始めた。
その時、祖母がふと顔を曇らせた。
「気をつけなさいよ。長芋には不思議な力があるからね」
祖母の言葉に、私は少し驚いたが、特に気にせずにすりおろし続けた。長芋がすり鉢の中で次第に白い液体に変わっていくのを見て、私は何か奇妙な感覚を覚えた。まるでその液体が生きているかのように、すり鉢の中で動いているように見えたのだ。
「おばあちゃん、これって本当に長芋なの?」
私は冗談半分で祖母に尋ねたが、彼女は真剣な顔で頷いた。
「そうよ。でもね、長芋は簡単な食材じゃないの。扱い方を間違えると、とんでもないことが起こるんだから」
その言葉に、私は少し不安になったが、すりおろす手を止めることはなかった。次第にすり鉢の中の長芋が滑らかになり、白い泡立ちが見えてきた。その時、すり鉢の底から奇妙な音が聞こえた。
「ギシギシ…」
私は驚いて手を止め、耳を澄ました。確かに、すり鉢の中から何かが擦れる音が聞こえていた。まるですりこぎがすり鉢を削るような、そんな音だった。
「おばあちゃん、何か音がするよ」
私は祖母に訴えたが、彼女はただ黙って私を見つめていた。その視線がどこか冷たく、私は背筋に寒気を感じた。
「もういいわ。今日はここまでにしましょう」
祖母はそう言って、私からすり鉢を取り上げた。彼女はすり鉢を持ち上げ、中を覗き込んだ。私もその中を見ようとしたが、祖母はすり鉢を台の上に置き、ふたをしてしまった。
その夜、私は妙な夢を見た。夢の中で、私はすり鉢の中に吸い込まれていった。白い液体が私を包み込み、すりこぎが私の体を押し潰そうとしていた。私は必死に逃げようとしたが、すり鉢の中はどこまでも深く、出口が見えなかった。
「おばあちゃん、助けて!」
私は叫んだが、誰も答えてくれなかった。すり鉢の中の液体が私の口の中に入ってきて、息ができなくなった。私はもがき、もがき続け、ついには意識を失った。
目が覚めると、私はベッドの中にいた。全身に冷たい汗をかいていて、心臓が激しく鼓動していた。祖母が部屋の入り口に立っていて、私をじっと見つめていた。
「大丈夫、もう怖がらなくていいのよ」
祖母の声は優しかったが、私は彼女の目に何か不気味なものを感じた。あの日以来、私は長芋を食べることができなくなった。祖母の家に行くこともなくなり、彼女と話すことも避けるようになった。
何年か後、祖母が亡くなったという知らせが届いた。私は久しぶりに祖母の家を訪れたが、家の中は昔のままで、時間が止まったように感じられた。台所に行くと、あの日使ったすり鉢がまだ置いてあった。
私は恐る恐るすり鉢のふたを開けた。中には何もなかったが、私は確かに感じた。すり鉢の底から聞こえる、あの「ギシギシ」という音を。そして、その瞬間、私は確信した。あの日、すり鉢の中で何かが目覚めたのだと。
その後、私は二度とすり鉢に近づくことはなかった。あの日の夢と、すり鉢の中から聞こえた音が、今でも私を苦しめている。祖母が何を知っていたのか、何を隠していたのか、真実はもう分からない。
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