私は大学で生物学を専攻している学生で、特に昆虫に興味があり、よく山中でフィールドワークを行っていた。ある秋の日、私は大学の友人と一緒に、山奥にある古い村へと調査に出かけることになった。その村は人里離れた場所にあり、自然が豊かで、様々な昆虫が生息していると聞いていた。
村に到着すると、まずその静けさに驚かされた。周囲には人の気配がなく、ただ風が木々を揺らす音と、遠くで聞こえる動物の遠吠えが響いているだけだった。村にはほとんど住人がいないようで、古びた家屋がぽつぽつと残るだけだった。
「何だか不気味だな…」
友人が呟いた。私も同じ気持ちだったが、せっかくここまで来たのだから、調査を始めることにした。私たちは村を囲む森に入り、昆虫の標本を集め始めた。木々の間を歩き回りながら、私は何かが足元を走り抜けるのを感じた。
「おい、今何か見えたか?」
私は友人に尋ねたが、彼は首を横に振るだけだった。しかし、その時から奇妙な気配がつきまとい始めた。森の中を歩くたびに、何かが後ろからついてくるような感覚がした。振り返っても誰もいない。ただ、何かがそこにいるという確信があった。
日が暮れ始め、私たちは村に戻ることにした。村の入口に差し掛かった時、突然、遠くから犬の遠吠えが聞こえてきた。その声は悲しげで、どこか人間のようにも聞こえた。私はその声に背筋が凍る思いがした。
「ここには犬なんていないはずだ…」
友人も同じように感じていたようで、顔が青ざめている。私たちは急いで宿泊する予定の古びた宿に向かった。宿は木造の古い建物で、部屋は薄暗く、どこかカビ臭かった。夜が更けるにつれて、風の音と共に遠吠えがますます近くなってきた。
その夜、私は奇妙な夢を見た。暗い森の中で、私は一人で立っていた。周囲には無数のムカデが這い回っており、地面は彼らで黒く覆われていた。ムカデたちは一斉に私に向かって這い寄り、その数が増えるにつれて私は動けなくなった。恐怖で目を閉じると、再び遠吠えが響き渡った。
目が覚めると、全身が汗でびっしょりだった。部屋の窓を開けると、外はまだ暗く、風が吹き抜けていた。その風に乗って、またあの遠吠えが聞こえた。私は鳥肌が立つのを感じながら、友人の部屋へ向かった。
ドアをノックしても返事がない。私はドアを開け、中を覗き込んだ。友人はベッドの上で眠っていたが、その顔は青白く、苦しげな表情を浮かべていた。私は彼を起こそうと近づいた瞬間、彼の体の上をムカデが這っているのを見た。
「ムカデだ!」
私は叫び、友人を揺さぶって起こそうとしたが、彼の体は冷たく、まるで命が抜けたように動かなかった。ムカデは次々と彼の体から這い出し、床に落ちていった。その数は増えるばかりで、部屋中がムカデで埋め尽くされていった。
「助けて…」
友人のかすれた声が聞こえたが、私は恐怖で動けなかった。ムカデたちは私に向かって這い寄り、その小さな足音が部屋中に響き渡った。私は後ずさりし、ドアを開けて外に飛び出した。
外はまだ暗く、遠吠えが耳にこびりついていた。私は足元を見下ろし、絶句した。地面には無数のムカデが這い回っていた。それはまるで、私を囲むようにして動いていた。遠吠えが再び響き、私はその声の方を振り返った。
そこには、巨大なムカデが立っていた。人間の背丈を超えるそのムカデは、私をじっと見つめ、次の瞬間、口を開けて言った。
「ここに来るなと言ったのに…」
その声は遠吠えに似ていた。私は背筋が凍りつき、動けなくなった。ムカデはゆっくりと近づき、その長い足が地面を叩く音が響き渡った。
その瞬間、私は目を覚ました。全身が汗でびっしょりで、息が荒い。夢だ…夢だったのか。しかし、足元には一匹のムカデが這い回っていた。私は恐怖でそれを踏みつけたが、その時、遠くから再び遠吠えが聞こえた。
その声は、まるで私を呼んでいるようだった。私はもう一度村に戻る勇気を失い、すぐに山を下りた。あの村には、何かが潜んでいる。ムカデと遠吠えの正体が何であれ、私は二度とその答えを知りたいと思わなかった。
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