初雪

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今年の冬は、いつもより寒い気がした。僕は仕事の疲れを癒すために、都会から少し離れた山間の小さな町にある温泉旅館に泊まることにした。そこは静かで、普段の忙しさを忘れるにはぴったりの場所だった。

夕食を終え、部屋に戻ると、外はすっかり暗くなっていた。窓の外には、山のシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。空を見上げると、ちらちらと白いものが降り始めていた。

「初雪か…」

僕は窓を開けて、冷たい風を感じながら雪の降る様子を眺めた。初雪の風景は美しく、心が洗われるような気分になった。しばらくそのまま立ち尽くしていると、ふと遠くに何か動くものが見えた。

それは、白い服を着た女性だった。雪の中で、彼女はゆっくりと歩いているように見えた。彼女の動きはどこか不自然で、足元が定まらない様子だった。僕は興味を引かれ、彼女の姿を目で追った。

しかし、何かおかしい。彼女は足を引きずるようにして歩いている。それに、こんな寒い夜に薄着で外を歩くなんて考えられない。彼女は何をしているのだろうか。

その時、彼女がふとこちらを向いた。僕は彼女と目が合った。遠く離れているのに、その目ははっきりと見えた。それは真っ黒で、底の見えない暗闇のようだった。僕は思わず窓を閉め、カーテンを引いた。

何だ、今のは?あの目を思い出すだけで寒気がした。旅館の従業員に聞いてみようかとも思ったが、気のせいだろうと自分に言い聞かせることにした。それに、外は雪が激しくなってきた。あの女性も、すぐに避難しているに違いない。

その夜、僕はなかなか眠れなかった。あの女性の姿が頭から離れない。何度も寝返りを打ちながら、やっとのことで眠りについた。

次の日の朝、僕は早くに目を覚ました。外は真っ白な雪景色で、夜の出来事がまるで夢のように感じられた。けれども、僕の頭にはまだ昨日の女性の姿が残っている。気になって仕方がなかったので、僕は旅館の主人に聞いてみることにした。

「あの、昨夜、雪の中で女性を見かけたんですが…」

主人は驚いたような顔をして、僕を見つめた。

「女性?こんな時期に外に出る人なんていないはずだが…」

僕はさらに不安になった。もしかして、僕の見たものは…?その時、旅館の古い写真が壁に飾られているのが目に入った。その中に、あの女性とそっくりの姿が写っていた。

「この人は…」

主人はため息をつき、静かに語り始めた。

「あの人はね、この旅館の初代の女将さんなんだよ。昔、彼女は雪の日に旅館を出て、そのまま行方不明になったんだ。以来、初雪の夜には彼女の姿が目撃されることがある。もしかすると、帰り道を探しているのかもしれないな。」

僕は凍りついたようにその写真を見つめた。昨夜、僕が見たのは幻ではなかったのか。彼女は確かにそこにいた。そして、僕を見つめていた。僕は急に背筋が寒くなり、外を見ると、雪が再び降り始めていた。

その日から、僕は初雪が降る夜になると、決して窓を開けないようにしている。あの目と再び出会うことを恐れて。

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