その人は、僕たちの間で「星さん」と呼ばれていた。本名は分からない。ただ、彼がよく星の模様が描かれた古いトレーナーを着ていたから、自然とそう呼ぶようになったのだ。
星さんは町外れの廃工場の近くによく現れた。昼間はほとんど姿を見せず、僕たちが夕方遅くまで遊んでいるときにだけ、ふらりと姿を現した。彼は話しかけてくることもなく、ただ黙って遠くから僕たちを眺めていた。
初めは怖かった。何しろ、誰も彼の素性を知らなかったし、大人たちも「あの人には近づくな」と口を揃えて言っていた。でも、特に何をされるわけでもないし、じっと見られているだけなので、次第に僕たちは気にしなくなった。
ある日、いつものように夕方の河原で遊んでいると、星さんが少しだけ距離を詰めてきた。僕たちは気まずさを感じつつも、無視して遊び続けていた。すると、星さんが突然、低い声で話しかけてきた。
「ここ、きれいな星が見えるだろう。」
僕たちは何を言われたのか分からず、ただ「まあ、そうですね」と適当に返した。その後も星さんは何かを話したそうな様子だったが、結局それ以上何も言わず、いつものように立ち去った。
それからしばらくして、町に妙な噂が流れ始めた。「星さんに夜中に呼ばれると、戻ってこられなくなる」とか、「彼が手を振ると、それが最後の別れになる」など、子どもたちの間で恐怖を煽るような話ばかりだった。
僕たちはその噂をバカにしながらも、どこか気になっていた。そしてある日、友人のタカシが冗談半分で言った。
「星さんに会ったら、俺が声かけてみるよ。何もないって証明するからさ。」
その日の夕方、僕たちはいつもの河原で遊びながら、星さんを待った。いつも通り現れた彼に、タカシが大きな声で話しかけた。
「おじさん、なんでいつもここにいるの?」
星さんは少し驚いたような顔をしたが、静かに言った。
「星を見に来てるんだよ。昔、ここでたくさんの星を見たからな。」
「それだけ?」
タカシが少し挑発的に聞くと、星さんはしばらく黙ったあと、ぼそりと言った。
「そのうち分かるよ。……君たちも、星を見るだろう。」
その言葉に妙な気味悪さを感じ、僕たちは遊びを切り上げて帰ることにした。タカシも「なんだよ、つまんねえ」と笑っていたが、少しだけ顔が強ばっていた。
その翌日、タカシは学校に来なかった。最初は風邪だと思っていたが、彼はそれ以来、一度も姿を見せることはなかった。家族もタカシの行方を知らず、町全体が彼の失踪で騒然とした。
僕は怖くなり、星さんのことを思い出した。彼が「星を見るだろう」と言った言葉が、頭の中で何度も繰り返された。
あの河原へ行けばタカシの手がかりがあるかもしれない。そう思い、一人で夕方に河原へ向かった。そして、星さんを見つけた。いつものように立ち尽くしている彼に、僕は勇気を振り絞って声をかけた。
「タカシはどこにいるんですか?」
星さんは、僕の言葉に何も答えなかった。ただ、静かに空を指差した。夕空には、ぽつりと一番星が輝き始めていた。
「ここで消えた人は、みんなあそこにいるんだよ。」
その言葉にぞっとして振り返ると、星さんの姿は消えていた。空を見上げると、次々に星が現れ、そのどれもがこちらをじっと見ているような気がした。
その後、タカシは見つからなかった。そして星さんも、もう二度と姿を現さなかった。けれど、僕は今でも星空を見るたびに、あの河原のことを思い出す。あの星のどれかが、タカシなのかもしれないと――。
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