小学生の頃、私たちのクラスに臨時で来た先生がいた。名前は村井先生と言ったが、子どもたちの間では「手品先生」と呼ばれていた。
村井先生は授業の合間や休み時間に、よく手品を披露してくれた。カードを使ったものや、コインを消す簡単なものが多かったが、先生の手さばきが巧みで、私たちは夢中になった。
特に印象に残っているのは、黒いスカーフを使った手品だった。スカーフを宙に浮かせたり、そこから鳩を出したりするその技は、何度見ても飽きなかった。
「どうやってるんですか?」
みんなで聞いても、村井先生は笑って「魔法だからね」と答えるだけだった。いつしか先生の手品はクラスの名物になり、村井先生がいる間は教室がいつも明るい雰囲気だった。
しかし、村井先生には一つだけ奇妙なことがあった。手品の際に使う道具――スカーフやトランプ、コイン――それらが全てボロボロだったのだ。特にスカーフは縁がほつれ、ところどころに穴が空いている。誰かが「新しいのを買えばいいのに」と言うと、先生は少しだけ真剣な顔をして、「これじゃないとダメなんだ」と呟いた。
その言葉が妙に気にかかったが、それ以上深く聞くことはできなかった。
ある日、放課後に教室で忘れ物を取りに戻ると、村井先生が一人でスカーフの手品を練習しているのを見かけた。興味本位で「見せてください!」と声をかけると、先生は少し驚いたような顔をしたが、笑顔で頷いた。
「よし、特別に一つ見せてあげるよ。でも、これは秘密の手品だからね。」
そう言って先生は、例の黒いスカーフを取り出し、ふわりと広げた。そしてスカーフの中に手を入れると、何もなかったはずの布から古びた写真が出てきた。
写真には、笑顔の子どもたちが写っていた。教室のような場所で撮られたその写真には、私の知らない顔が並んでいる。
「この子たち、誰ですか?」
そう聞くと、村井先生は一瞬だけ笑顔を消した。そして静かに言った。
「昔の生徒たちだよ。……みんな、ここにはいないけどね。」
その言葉が妙に引っかかり、私は無意識に写真を覗き込んだ。そして気づいた。写真の奥、子どもたちの後ろの窓ガラスに、ぼんやりと先生の姿が映っていることに。
でも、その先生は今の村井先生とは違っていた。窓の中の先生は、うつむいて何かを呟いているようだった。そしてその顔は……異様に細く、不気味だった。
「もう帰りなさい。」
突然、村井先生が写真をスカーフで包み隠し、低い声で言った。そのまま何も言えずに私は教室を飛び出した。
翌日から、村井先生は学校に来なくなった。誰かが「急に辞めたらしい」と言ったが、詳しい事情は誰も知らなかった。ただ、あのスカーフや古びた写真のことを思い出すたび、背筋が冷たくなる。
それ以来、学校の廊下に誰もいない時間に、黒いスカーフがふわりと浮いているのを見たという噂が絶えなかった。
「手品先生はまだどこかで手品をしているのかもしれないよ」
友達が冗談混じりに言ったが、私はその言葉を笑えなかった。きっとあのスカーフには、私たちの知らない何かがある――そう思うと、村井先生のことを深く思い出すのも怖くなった。
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