私の財布

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その日、私は仕事帰りに小さな駅の近くを歩いていた。遅い時間だったせいか、人通りはほとんどなく、街灯の光だけが静かに地面を照らしていた。

ふと、歩道の端に何か落ちているのが目に入った。黒い革製の財布のようだった。周囲を見渡しても、誰もいない。どうしたものかと迷いつつ、拾い上げてみる。

意外に軽い。それにしても、こんな時間に誰が落としたのだろう。中を確認するのも気が引けたが、身分証でも入っていればと思い、そっと開けてみた。

中には何も入っていなかった。ただ、一枚だけ古びた白黒写真が挟まっていた。それは、昭和風の服装をした男女が並んで写っている写真だった。撮影場所はどこかの田舎の風景のようで、二人の後ろには朽ちかけた鳥居が立っている。

気味が悪くなり、財布を閉じてそのまま警察に届けようと思った。しかし、その瞬間、背後から声がした。

「落とし物ですか?」

振り返ると、そこには誰もいなかった。声の主を探そうと辺りを見渡しても、人気はない。風の音だけが響いている。

奇妙な感覚に包まれながらも、気を取り直して歩き出そうとしたその時、再び声が聞こえた。

「それ、私のです。」

声のする方を見ると、闇の中に人影がぼんやりと立っていた。こちらをじっと見つめている。暗くて顔はよく見えないが、女性のようだった。彼女はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

「これ……あなたのですか?」
恐る恐る財布を差し出すと、彼女は動きを止め、ぽつりと答えた。

「いいえ、それは、あなたのです。」

言葉の意味が分からなかった。再び財布を見ると、中の写真が変わっていた。さっきの男女の写真ではなく、今度は自分が写っていたのだ。見覚えのない場所で、見覚えのない誰かと肩を並べて微笑んでいる写真。

慌てて顔を上げると、女性の姿はどこにもいなかった。ただ、不気味な静けさだけが辺りを支配していた。

その夜、家に帰ってから財布を捨てようとした。だが、翌朝、玄関の下駄箱の上にそれが戻っていた。何度捨てても、必ず家のどこかに戻ってくる。そして中の写真には、次第に見覚えのある顔が増えていく。

最後に追加されたのは、あの女性だった。彼女は私のすぐ隣で、笑っていた。

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