その林は、街の郊外に広がる、いかにも何の変哲もない場所だった。古びた公園に隣接し、鬱蒼とした木々が立ち並んでいる。昼間でも薄暗く、人通りはほとんどない。地元の人たちは、「あそこは出る」と言いながらも、特に具体的な話をするわけではなかった。私はそんな噂話に興味を持ち、ある日、昼下がりにその林へ足を運ぶことにした。
林の入り口に立つと、風が木々を揺らし、ざわざわと音を立てていた。人の気配はなく、鳥の鳴き声すら聞こえない。ただ、湿った土と落ち葉の匂いが鼻を突く。私はスマートフォンを取り出し、林の中の写真を撮りながら歩き始めた。
歩き始めて10分ほど経った頃だ。何かの視線を感じた。背中がぞくりとするような感覚に、思わず振り返る。だが、そこには誰もいない。風が強くなり、木々がざわめいているだけだった。気のせいだと思い、再び歩き出そうとすると、足元に違和感を覚えた。
――土が、踏み固められている。
林の中の道は、普通なら柔らかい土や草が敷き詰められているはずだ。だが、今歩いている道は妙に硬く、まるで何度も人が行き交ったように平らになっている。私はその道をたどり、奥へ奥へと進んだ。
すると、目の前にぽっかりとした空き地が現れた。そこには朽ちた木製のベンチが置かれており、その周囲には、古い布切れや錆びた缶が散らばっている。明らかに誰かがかつてここを利用していた痕跡だった。
ベンチに近づこうとしたその時だった。
「おい」
唐突に、低く響く声が聞こえた。思わず足を止め、辺りを見回す。だが、人影はどこにもない。耳を澄ませると、声のようなものは消えていた。しかし、空気が重い。胸の奥が締め付けられるような、得体の知れない不安感がじわじわと広がってくる。
振り返って帰ろうとした時、ふと気づいた。木々の間に何かがいる。いや、正確には「誰かが紛れている」。目を凝らすと、それは人間のような形をしていた。木の幹と同じ色の肌、手足が長すぎるその存在は、林の中に完全に溶け込んでいる。
私が目を合わせた瞬間、その「何か」はゆっくりと首を傾けた。その動きが妙に滑らかで、人間のものとは思えない。逃げなければ、そう思った。足が震えたが、それでも無理やり体を動かしてその場から走り出した。
林を抜けるまでの間、ずっと背中に視線を感じた。振り返りたくなる衝動に駆られたが、それをしてはいけないと、本能が警告していた。
やっとの思いで林を抜け、明るい公園に飛び出した時、視線は消えていた。振り返って林を見ると、静かに揺れる木々以外、何もない。ただ一つだけおかしいことに気づいた。
私の靴に、細かい木の枝のようなものが絡みついていた。それはまるで、何かが私を掴んでいた痕跡のように見えた。
それ以来、あの林には近づいていない。だが、夜になると時折、窓の外の木々がざわざわと揺れる音が耳に入る。そのたびに、あの時の「何か」が私を見ているのではないかと思えてならないのだ。
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