仕事の帰り道、久しぶりに田舎に帰る途中だった。
電車を乗り継ぎ、最寄りの駅に降り立つと、空気がひんやりしていた。
夜の田んぼ道を歩きながら、ふと昔のことを思い出した。
俺がまだ子どもの頃、この村には**「送りさん」**の風習があった。
人が亡くなった時、村人たちが集まって夜道を歩き、死者を峠の向こうまで「送る」儀式だ。
ただ、親からはこう言われていた。
「途中で振り返っちゃいけないぞ。送りさんは、一度振り返った人を連れて行くからな」
村に近づくと、懐かしい風景が見えてきた。
田んぼの中にポツンと一軒だけ立っている古い民家――あの家はもう誰も住んでいないはずだった。
ふと視線を感じて、民家の窓を見た。
――人がいる。
窓の奥から、誰かがじっと俺を見ている。
灯りもないのに、顔だけが薄ぼんやりと浮かび上がっているようだった。
懐かしい顔だった。
祖父だ。
祖父は俺が小さい頃に亡くなったはずだ。
なのに、窓の向こうでにこりと笑っている。
振り返るな――そう思いながら、歩く速度を速めた。
でも、どうしても気になって、もう一度振り返った。
窓から覗いていたのは、祖父だけじゃなかった。
次々と、何人もの顔が窓からこちらを見ていた。
村に着く頃には、背中にびっしりと視線が張り付いているのがわかった。
家に着いた時、母が驚いた顔で言った。
「どうしたの、あんた、送りさんに参加してたのかい?」
「いや、そんなの見てないよ」
すると母は困ったように眉をひそめた。
「さっき、田んぼ道を何人かが送って歩いてたって、村の人が言ってたんだよ。途中で誰かが振り返ったらしくてね」
俺は言葉を失った。
背後で、また視線を感じた。
振り返るな――今度こそ、俺は振り返らなかった。
でも、影が家の周りをゆっくりと一周する音だけが、いつまでも止まなかった。
まるで「最後の一人」を迎えに来たように。
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