森の中に響く足音が、次第に湿った土に吸い込まれるように小さくなっていく。
四人で肝試しに出かけたのは、夏休み最後の夜だった。薄暗い森の奥にあるという廃神社。その場所には、誰もいないはずなのに子供の泣き声が聞こえるという噂があった。学校でよくある怖い話の類だが、僕たちは興味半分、恐怖半分でそれを確かめに行くことにした。
森の入口から奥へと進むにつれて、空気がひんやりと冷たくなっていく。懐中電灯の明かりが木々に跳ね返り、影が揺れるたびに一瞬息が詰まる。その夜は風もなく、周囲は虫の声と僕たちの足音だけで満たされていた。
やがて廃神社の姿が見えてきた。苔むした石段、傾いた鳥居、朽ちかけた拝殿。誰かが手入れをした形跡はなく、まるでこの森に取り込まれたようだった。その時だ。
森全体が静まり返った。虫の声も風の音も消え去り、僕たちの呼吸音だけがやけに大きく耳に響く。そして、どこからかすすり泣く声が聞こえてきた。
「聞こえたか?」
誰かが囁く。確かに聞こえる。子供の声だ。泣いている。恐怖と好奇心が入り混じったまま、僕たちは声のする方へ向かった。神社の裏手にある祠。その小さな建物の前で、一人の子供がうずくまっていた。膝を抱え、肩を震わせている。
「おい、大丈夫か?」
貴方が声をかけると、子供はピタリと泣き止んだ。そして、ゆっくりとうつむいていた顔を上げる。その顔を見た瞬間、僕たちは凍りついた。
子供の顔は、異様に青白かった。目は深い闇のように黒く、どこを見ているのか分からない。そして何より、その表情には何かおかしな違和感があった。人間が持つはずの”温かみ”というものが、まるで感じられなかったのだ。
「お前、こんなところで何をしているんだ?」
再び貴方が声をかけた。すると、子供はゆっくりと立ち上がった。背丈は小さな祠と同じくらいのはずなのに、どこかその影が妙に長く見える。そして、彼の唇が動いた。
「……帰りたい。」
それは、どこからともなく湧き上がるような声だった。子供の声ではなく、もっと深く低い響きが混じっているように感じた。瞬間、背筋に冷たいものが走り、僕たちは一斉に後ずさった。
だが、貴方だけはその子供に手を差し出していた。「どこに帰りたいんだ?家はどっちだ?」
貴方の言葉に、子供は少し首を傾げた。そして、小さく笑う。その笑顔は、どうしようもなく不自然だった。目は笑っていない。むしろ、僕たちを試しているような、挑発しているような感覚すらあった。
その瞬間、足元に冷たい風が吹き抜けた。それと同時に、森全体がざわめき出した。さっきまでの静けさが嘘のように、木々がざわざわと揺れ、耳鳴りのような音が頭を覆う。
「戻れ!」
誰かが叫んだ。僕たちは一斉に駆け出し、神社を後にした。振り返ると、貴方はまだあの子供の前に立っていた。しかし、その場を離れた僕たちがもう一度振り返ったとき、貴方もその子供も、どちらの姿も消えていた。
後日、貴方にそのことを尋ねると、何かはぐらかすような返事しかしなかった。でも、僕たちは知っている。あの時、貴方が助けようとしたものは、人間ではなかったのだと。そして、あの夜の出来事を境に、貴方は何かが変わってしまった。
今でも時々思い出す。あの子供の黒い目、そして、不気味な笑顔を。
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