大学の図書館は、夕方になると独特の静けさを纏います。重い本棚の間に漂う埃の匂い、蛍光灯の淡い光。それらが重なり合い、時間の感覚が曖昧になる場所でした。
あの日も、私は一人で図書館にいました。レポートの締め切りが近づいていたので、参考資料を探していたんです。誰もいない書架の間を歩き回りながら、ふと背後に視線を感じました。
振り返ると、そこには誰もいません。気のせいだと思い、再び本を物色し始めましたが、今度は近くの棚から「カタッ」という音がしました。本がずれたような音です。再び振り向きましたが、やはり誰もいない。ただ、棚の隙間越しに、何かが動いたような気配だけがありました。
少し不気味に思いながらも、私は気にしないふりをして作業を続けました。しかし、本を探す手が止まったのは、その次の瞬間です。視界の端に、何かが映り込んだからです。
それは、明らかに「人」でした。書架の間の奥に立っているのが見えました。ただ、その全身が――緑色だったんです。
服が緑だったのか、肌が緑だったのか、細部までははっきりと見えません。ただ、一目見て「緑色の男」だと分かる異様な存在感がありました。背は高く、痩せていて、こちらをじっと見つめています。その目が――暗い光の中で妙に光っているように見えました。
私は何か声をかけようとしましたが、声が出ませんでした。喉の奥が凍りついたようで、言葉が形にならない。ただ立ち尽くしていると、その男はゆっくりと動き出しました。
音を立てることなく、静かに歩いてきます。書架の影が歪むように感じたのは、私の錯覚だったのかもしれません。ただ、その緑色の輪郭が近づくたびに、息が詰まるような感覚に襲われました。
限界を感じた私は、思わず書架の間を抜けて走り出しました。資料を持つのも忘れて、閲覧席の明るい場所まで逃げ戻りました。そこには他の学生がいて、いつもの図書館の雰囲気が戻っていました。
ふと振り返ると、あの緑色の男はどこにもいませんでした。周囲を見回しても、彼の姿を確認することはできませんでした。
後日、誰かにこの話をしようか迷いましたが、結局、口にすることはありませんでした。あの日以来、私は決して書架の奥深くには入り込まないようにしています。
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