案山子さん

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僕の故郷は田舎で、田んぼが一面に広がるような静かな場所でした。学校の帰り道には、いつも農道を通り、稲穂が風に揺れる景色を眺めながら家に帰るのが日常でした。そんな中でも、子どもたちの間で「絶対に近づくな」と言われていた場所がありました。それは、町外れの古い田んぼに立つ案山子(かかし)でした。

その案山子は普通のものとは少し違っていました。藁で作られた胴体に、白い布で覆われた頭。それだけならよくある田舎の案山子ですが、妙に人間らしい手足が付いていたのです。しかも、その顔には何の模様も描かれておらず、ただの白い布が張られているだけ。それなのに、見る人によって「笑っているように見える」「怒っているように見える」と違う印象を受けると言われていました。

ある日、クラスメイトのB君がその案山子を「案山子さん」と呼び始めました。そして、「案山子さんに話しかけると返事が返ってくるらしい」と言い出したのです。僕たちは怖がりながらも興味津々で、「そんなの嘘だろう」と笑っていました。けれど、B君は本気でした。

「放課後に見に行こうよ。俺が話しかけてみるから」

怖かったけれど、僕たちは何人かで連れ立って、その田んぼへ向かうことになりました。夕方の薄暗い空の下、その案山子はいつも通り立っていました。風に揺れる稲穂の中で、ひときわ異様な存在感を放っていました。

B君は緊張した面持ちで案山子に近づき、こう言いました。

「案山子さん、僕の声が聞こえますか?」

もちろん何も返事はありません。ただ、風が稲を揺らす音だけが響いていました。僕たちはほっとして、「やっぱり何も起きないじゃん」と笑い合おうとした、その時です。

「……うん」

明らかに大人のような低い声が聞こえました。

僕たちは全員その場で凍りつきました。B君は恐る恐る振り返り、「今、聞こえたよな?」と確認してきました。僕たちは頷くしかありませんでした。誰も近くにはいないし、風の音とも違う、はっきりとした声だったのです。

恐怖のあまり、僕たちはその場を一斉に逃げ出しました。しかし、走っている途中で、ふと背後を振り返った僕は、案山子の頭がこちらを向いているのを見てしまいました。風で揺れただけだと自分に言い聞かせましたが、あの瞬間の視線のような感覚は、今でも忘れられません。

その日以来、B君は学校を休むことが多くなり、次第に町を出て行きました。僕たちも、その田んぼには二度と近づきませんでした。案山子はその後どうなったのか分かりませんが、時々思い出すのです。

あの時の「うん」という声――あれは誰のものだったのか。いや、本当に「誰か」の声だったのか? それを確かめる勇気は、今でも持てそうにありません。

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