夏休みが始まって間もない夜だった。日中はそこそこ晴れていたのに、夜になると湿気が増し、空気がねっとりと体にまとわりついてきた。窓を少し開けると、ぬるい風がビュウビュウと吹き込んできて、カーテンが膨らみ、はためいた。その様子を見て、私は「なんだか落ち着かないね」と呟いた。友人も「まるで台風の前触れみたいだ」と同意してくれた。
その夜は不思議なことが多かった。風がやけに生温く、家の中なのにじっとりと汗をかいてしまう。そして風音には、低く唸るような音が混じっていた。まるで、遠くの山の中から何かが這い寄ってくるような気配を感じさせる音だった。
「外に出てみるか」
私は友人にそう提案した。気味が悪いけど、このまま家にこもっていると落ち着かなかったからだ。
玄関を開けると、湿った空気が一気に体を包んだ。家の外は真っ暗で、街灯の明かりだけが頼りだった。でも、どうもその明かりの下にある影が、おかしなことになっていた。
「なあ、あれ……」
私が声を出すよりも早く、友人が静かに息を呑んだ。
街灯の光に浮かび上がる影。それは、私たちの影ではなかった。小さく、ぎこちなく揺れ動くそれは、人の形をしているようで、していないようでもあった。どこから現れたのか、どうやってここに来たのか――そんなことは分からない。ただ、その動きが徐々にこちらに向かってくるのが分かると、背中に冷たい汗が流れた。
風が突然ぴたりと止んだ。周囲が一瞬、音を失ったように静まり返る。そして、その影が目の前で立ち止まり――いや、立ち止まったというよりも、吸い込まれるように地面に溶け込んでいった。
「な、なんだ……?」
私が声を出したその瞬間、遠くで雷鳴が轟き、空が激しく光った。それと同時に、雨が降り始めた。激しい音と共に、空気中の湿気が一気に洗い流されるようだった。
二人して家の中に飛び込み、息を荒げながらドアを閉めた。その後は特に何事もなく、ただ雨音が響くだけの夜となった。
でもあれは、本当に雨で流されたのだろうか?影はどこへ行ったのか。そして、あの時感じた「何かが近づいてくる感覚」は、本当に気のせいだったのか?
あの夜の出来事は、それ以来二人の間でも話題に出ることはなくなった。でも今でも、ぬるい風が吹く夜になると、あの影を思い出してしまう。まるで、それがまた訪れることを予感させるように――。
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