草津でのことです。三日目の夜、宿に戻ってからもなぜか寝付けなくて、外の空気を吸いたくなったんです。ちょうど宿の近くには細い坂道や、湯畑から延びる静かな路地が広がっていて、夜の草津は幻想的な雰囲気に包まれていました。
特に目的があったわけじゃないんですが、湯畑の方に向かって歩いてみました。昼間の賑わいが嘘のように静まり返っていて、温泉街の灯りがぽつぽつと点るだけ。ひんやりとした夜風が気持ちよくて、しばらくそのまま歩き続けました。
すると、湯畑の端から一本伸びる小道に目が留まりました。その道は昼間見たときには気づかなかったんですが、少し奥まっていて暗がりに消えていく感じでした。なんとなく吸い寄せられるようにその小道に入ってみたんです。
しばらく進むと、道はさらに細くなり、周りには古い木造の建物が増えてきました。とても静かで、足音が妙に響きます。途中で小さな祠が道の脇にぽつんと立っているのを見つけました。
祠の前には古びた木のベンチがあり、腰を下ろしてしばらくぼんやりしていると、どこからか足音が聞こえてきました。草津の夜道で誰かが歩いているのかと思い、振り返ってみましたが、誰もいません。
不思議に思いながらも、静かに耳を澄ませると、足音はだんだん近づいてきているようでした。でも、目に見える範囲には相変わらず誰の姿もありません。そのうち足音が止まり、代わりにかすかな鼻歌のような音が聞こえてきたんです。
それがまた妙な旋律で、どこか懐かしくもあり、不気味でもありました。怖くなってその場を立ち去ろうと立ち上がると、足元に何かが落ちていました。白い布の切れ端のようなもので、拾い上げると湿った感触がありました。
ふと見上げると、さっきまで何もなかった祠の奥に誰かが立っているように見えました。薄暗い灯りにぼんやりと浮かぶその人影は、こちらを見ているようで……いや、見えているのかどうかすら分からないのに、確かに「見られている」と感じました。
恐ろしくなり、その場を離れて宿に戻りました。布の切れ端は途中のゴミ箱に捨てましたが、部屋に戻ってからもずっと嫌な感覚が残っていました。まるで、誰かに追いかけられているような……いや、見守られているような妙な感覚です。
翌朝、誰にもその話をせず、いつも通りに過ごしましたが、あの夜見た祠と人影は、今でも頭に焼き付いています。一体あの小道はどこに繋がっていたのか、そして、あの祠で何が行われていたのか。
もしまた草津に行く機会があっても、あの道には二度と入りたくないと思っています。
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