社会人1年目の冬、私は毎日終電で帰るような忙しい日々を送っていた。ある日、駅のベンチに小さな黒い手帳が置かれているのを見つけた。薄暗い駅のホームに人影はなく、忘れ物のように見えた。
「誰かの落とし物かな?」
中を確認しようと手帳を開くと、最初のページにはびっしりと細かい文字が書かれていた。内容は日記のようだったが、奇妙な点が一つあった。
全て未来の出来事が書かれている。
「○月○日 午前8時45分 A駅のホームで傘を落とす」
「○月○日 午後2時30分 B社の会議室でプレゼン失敗」
どれも詳細に書かれているが、予測して書いたのか、それともただの冗談なのか分からなかった。興味を引かれて、その手帳を持ち帰ることにした。
次の日、仕事の帰りにその手帳を読み返していた時、不意にあるページの記述が目に留まった。
「○月○日 午後10時40分 終電のホームで男性が線路に転落」
今日の日付だった。しかも、まさに私が今いる駅の時間が書かれている。
「偶然だよな……」
そう思いつつも、時計を見ると、手帳に記された時間が近づいていた。不安に駆られ、ホームを注意深く見渡すと、スーツ姿の男性がふらつきながら歩いているのが目に入った。
その瞬間、男性は足を滑らせて線路に転落した。私は咄嗟に駅員を呼び、男性はなんとか無事に救助されたが、手帳に書かれていた通りの出来事に震えた。
この手帳は一体何なのか。どうして未来の出来事を知っているのか。
それから数日間、手帳に書かれた内容を確認しながら生活したが、不思議なことに記述の通りの出来事が次々と起きた。
「○月○日 午後7時10分 会社のエントランスで電話を落とす」
「○月○日 午前11時20分 取引先の名刺を忘れる」
どれも避けられるかと思ったが、どんなに注意しても必ず実現してしまう。
そして手帳の最後のページに目をやった時、私は言葉を失った。
「○月○日 午後11時15分 自分が電車に轢かれる」
その日は明日だった。
翌日、私は終電を避け、家に帰る道を変えることにした。手帳に書かれた運命を変えるために、あらゆる選択を慎重にした。
だが、夜11時15分、踏切の前でふと気づいた。
私のポケットから、手帳が消えている。
その瞬間、背後から電車の音が近づいてきた。振り向いた時、目に入ったのは踏切の向こうで落ちていた、あの黒い手帳だった。
そして次の瞬間、轟音と共に視界が真っ暗になった。
その後、私は意識を失ったが、不思議なことに目を覚ました場所は自宅のベッドだった。ただ、手帳はどこにも見当たらない。
今でも、駅や踏切を通るたび、ポケットの中にあの黒い手帳が戻ってきている気がする。そして、その最後のページに書かれた内容が、いつ更新されるのか分からないままだ。
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