使われていない部屋

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これは、もう何年も前の話です。ある秋の夜、仕事で地方に出かけることになり、宿泊先を急遽探さなければならなくなりました。宿泊先は観光客で混んでいて、どこも予約でいっぱい。最後の望みで問い合わせた旅館に、ようやく一部屋だけ空きがあると言われ、そこに泊まることにしました。

その旅館は山奥にあり、ちょっと古びた感じがしていましたが、落ち着いた雰囲気で悪くはない。女将さんも親切でしたし、部屋に案内された時には何の違和感もありませんでした。部屋は端っこのほうで、静かで広め。窓の外には竹林が見え、風に揺れる音が心地よく響いていました。

ただ、一つだけ妙なことがありました。その部屋の廊下を歩いているとき、女将さんが小さな声で、「この部屋、しばらく使われていなかったんですけどね…」と言いかけて、すぐに口を閉じたのです。少し気になったものの、疲れていたので特に深く考えず、部屋で休むことにしました。

しばらくして、布団に入ってうとうとし始めた時でした。なんとなく、部屋が薄暗くなっている気がして目を覚ましたんです。時計を見ると、まだ深夜1時。部屋の灯りは消していなかったはずなのに、ぼんやりとした光が遠のいているように感じました。

その瞬間、部屋の隅からカサカサと紙のような音が聞こえてきたんです。最初は風が障子を揺らしているんだろうと思いました。でも、音は次第に近づいてくるんです。まるで何かが畳の上を這っているような…。

心臓がドクドクと高鳴り、体が動かなくなりました。目だけがその音の方に向かいます。音は、隅からこちらに向かっているのが明らかでした。息をひそめていると、布団の端がゆっくりと持ち上がり、何かが入ってくるような気配がしたんです。

もう怖くてたまりませんでした。布団をかぶって目を閉じて耐えました。すると、突然、耳元で小さな声が…「ここ…寒いねぇ」と囁くように聞こえたんです。

朝になって、慌てて起き上がりました。部屋の中には誰もいません。でも、部屋の空気が異様に冷たく感じられました。女将さんに昨夜のことを話そうと思いましたが、何となく言葉にするのが憚られました。支払いを済ませ、旅館を後にしようとした時、ふと気になって尋ねました。

「あの部屋、使われてなかったって言ってましたよね?」

すると、女将さんは少し困った顔をしてこう答えました。「あの部屋、昔はよく使っていたんですが…ある日、泊まったお客さんが、夜中に亡くなってしまったんです。それ以来、ちょっと気味が悪くて…。最近は掃除のためにしか使っていなかったんですが、昨夜はお部屋が空いてなくて…」

その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍りつきました。もしかして、あの夜感じたのは…。

今でもあの旅館の名前は覚えていますが、もう二度とそこには行かないでしょう。

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